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2017年3月7日火曜日

~絶対一如の絶対鏡を知る~星野 敦子 氏 朝霞市倫理法人会 幹事

201737-

569回モーニングセミナー

6時からの役員朝礼には、11人の役員が集まり、いつもの通り練習し、その後正式の活力朝礼で、ぴしっと決めました。

最初に会長挨拶です。

「3月より会社の事業拡大のため、小さな営業所(駐車場付き)を借用設置しようとしていたのですが、借用を断られ、別の場所に設置するべく、()トップが対応してくれ、8月より開設できることになりました。()トップは、『会社を元気にする会社』をキャッチフレーズとし、取引会社を大切にし、相手の身になって考えてくれるような会社で、見習わなければと思いました。」

今回、新たに田中 ゆかりさんが入会されることになり、入会式が挙行されました。

次は、田中 ゆかり 会員のスピーチです。

「昨年末に九州福岡から、転居しました。鎌倫の印象が良く、熊坂会員の紹介もあり、入会を決めました。当たり前に存在するもの(宇宙、太陽、地球など)には、その存在価値自体を認識しなくなりがちです。倫理法人会では、会長以下の幹部が率先してMSの準備作業をしており、貴重な存在で、このような考え方は、日本の未来にとって大切なことだと思います。『全ての答えは自分自身にある』という考え方も新鮮で、果たして自分は最善を尽くしているのかと反省しています。また、『今の生き方が最良なのか。』という疑問もあります。ヨガなどによるトレーニングで健康を維持し、平和な世界を実現したいと思います。言葉だけでなく、実践の大切さも学びたいですね。

次はいよいよ星野 敦子 の講話です

星野 敦子 氏のプロフィール】
埼玉県朝霞市倫理法人会 幹事
1961年東京新宿生まれ 7歳で、母が死去。 長野県の祖母の家で育つ
御茶ノ水女子大学文教育学部大学院修了
東京工大大学院社会理工学研究科人間行動システム専攻修了(学術博士・教育効果
十文字女子大学人間生活学部児童教育学科 教授
2011年、大学開放・地域連携推進センター長
2012年、地域連携ボランティアサークル「ゾウキリンくらぶ」設立
更に、学生を核とした社会貢献を目指し、新座市での活動、中山間部支援、被災地支援、ネパール学校支援を実施中。
2014年、地域連携推進機構副機構長
市内13団体をネットワーク化し、緑と野火止用水に関わる事業を推進中

「私は、1年前に倫理法人会に入会し、今年1月に初めて講話しました。女子大で教えていましたが、自分で動かないと仕事ができない状態でした。にも拘らず、人と関わることにあまり興味がありませんでした。

学生時代から聖書を学び、イエスの山上説教の中に、『心の貧しい人は幸いである』という一節があります。『心の貧しい』とは、奢りや高ぶりがなく、見栄を張らない、真っさらな状態であることです。つまり、白紙の状態で素顔そのものの心が人として最も大事なものであるという意味です。倫理に入り、万人幸福の栞を読んで、同じことが書いてあると感じました。どんなに理想的な理屈でも実践が伴わなければ、それはなきに等しいことです。倫理に入会し、素直な心で地域連携に取り組む意欲が与えられました。

他大学の幹部の人は私の提案に対して、消極的賛成ではあっても、積極的には動いてくれませんでした。しかし、学生たちは集まってきました。また、十文字学園では幹部も応援してくれました。

地域連携の一つとして、地元の商店会と協力して『黒目川ウォーキング』を始め、桜祭り、さんま祭りなども企画しました。年々参加者が増え、特に大学生の参加が多く、朝霞市、新座市などの商店会だけでなく、色々な団体がマスコットの展示などに協力するなど、活性化しています。予算も市から出るようになり、自衛隊までが参加しています。倫理に入会してから、私にチャンスが来たと思います。

7歳のとき、私の母が亡くなり、同時に父とも離れて長野の祖母に育てられたので、父母についての感謝の気持ちなどもありませんでした。最近になって父母への感謝の気持ちが無いことで、仕事の面でもきちっとやり抜くことができないのではと思うようになりました。7歳の子供を残して死ぬことになったときの母の心情を想うと、心から母に感謝しなければいけないと思います。最近では父母へのお墓詣りに行き、そのことを強く感じています。」

 星野 氏の深い思考と活力源とを伺うことができました。何よりも実践を重視され、関わる人との良い関係を重視されて活躍される星野氏を応援したいと思います。

この後、集合写真を撮り、場所をオリーブの木に移し、星野 氏を中心に、倫理に関する話に花が咲きました。

 

その後、星野 氏は、鎌倫恒例の人力車で由比ヶ浜を往復されました。

平松 健男 記)

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