沖縄には、史上初の雪が降り、鹿児島には雪が積もりました。ここ鎌倫では、寒さに震えながらも早い人では5時前に由比ヶ浜公会堂に集まり、MSの準備です。今冬は、単純な地球温暖化説では説明できない異常気象です。ジェット気流の異常南下と赤道直下の強いエルニーニョ現象の発生が異常気象の原因だとしています。この因果関係については納得しますが、それらと地球温暖化との関係は定かではありません。沖縄では、史上初の雪が降りました。暖房器具を用意していない家庭では、寒さを凌ぐのに、一苦労だったことと思います。
本日は、新宿区倫理法人会 幹事、(株)シナジー・エンタープライズ副社長の、幸田 朱未 氏の講話です。
先ずは、会長スピーチです。
「先日、車で東京の早稲田通りを走っていたとき、Uターン禁止道路でUターンし、お巡りさんに捕まってしまいました。以前なら、そのようなとき、『運が悪かった残念!』と思ったでしょうが、今回は、そうではなく、『自分がいけなかった。時間調整できてむしろ良かった。大事故でなくて良かった。』と肯定的な気持ちになりました。」
ここで、1月度の誕生(齋藤晴美さん、長谷真子さん、根岸猛さん)を祝って、ハッピバースデイを唄い、花束贈呈です。
次は、齋藤晴美 幹事の3分間スピーチです。
「数人をAとBの2組に分け、以下のようなゲームをしました。『それぞれは少々離れたA、Bの机にグループ毎に座っています。互いの机には、同じ食べ物が乗っており、その食べ物を相手の机に届く長い箸を使って食べて貰う』というゲームです。元々、長い箸では食べて貰うことは困難です。従って、短い箸を使って、自分のチーム同士でたべて貰い、その後接近している相手方に短い箸を使って食べて貰うことにするのが最短です。つまり、組織が有効に活動するには、互いに相手の身になって行動することです。自分本位になってしまうと、できるものまで、できなくなってしまいます。」
次はいよいよ幸田 朱未 氏のスピーチです。
【幸田 朱未 氏のプロフィール】
26歳まで札幌で育つ。大学では建築工学を専攻し、建築会社に就職。第1子(長男26歳)が6歳のとき、第2子(長女18歳)がダウン症候群で誕生。
その後、ご主人が進行性の筋肉委縮症を発病。お二人の介護に人生を捧げてきた。
新宿区倫理法人会 幹事、(株)シナジー・エンタープライズ副社長
「長女が生まれると、直ぐにダウン症候群(染色体異常、千人に一人の確率で発病)であることが分かり、大きなショックを受けました。しかし、手足は健常者と同じであり、私の人差し指を握ってくれる赤チャンを愛おしく思い、苦難を乗り越えて生きる決心をしました。ダウン症候群の子供は免疫力が弱く、常にお医者様のお世話になりました。しかし、障害者の長女は、今でも本当に純真無垢で可愛い存在です。日本では、障害児を隠すことが多いのですが、一人の人間として、仲間としてみてほしいと思います。」
「その後、主人が難病の進行性筋萎縮症に罹り、闘病生活に入りました。次第に筋力を失い、今までできたことができなくなり、言葉も発せられなくなりました。昼夜の別なく介護する毎日に困り果てていると、介護の援助に手を差し伸べてくださる方や入れて頂ける介護施設が見つかるなど幸運に恵まれました。経済的にも恵まれてきました。困り果てると、いつも神様が手を差し伸べてくださいました。そして、そのようなときに限って、神様がピンチをチャンスに変えてくださるような気がしました。
二人の障害者のお蔭で、障害者に関して各地で講演し、学校の授業に取り入れて貰い、本を出版することもできました。障害者のありのままを理解して貰い、互いに寄り添うことのできる存在であることを理解して貰いたいと思います。」ピンチをチャンスに変える幸田氏のバイタリティはどこから出てくるのでしょう。お天道様は見ています。
集合写真を撮り、オリーブの木で美味しい朝食を頂き、皆さんで感想を述べあいました。今日の話には、皆さん涙のこぼれるのを我慢したのではないでしょうか?
その後、明るくなった鎌倉駅までの路を、人力車で往復されました。寒さで震え上がられたのでは?
(平松 健男 記)