鎌倉市倫理法人会主催の「イブニングセミナー」が鎌倉芸術館で開催されました。
開催に当たり、鎌倉ユネスコ協会より、「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」の活動に対する寄付が贈呈されました。
本日の講師は当会員の名知 仁子 氏です。
【名知 仁子 氏のプロフィール】
1989年獨協医科大学卒内科医、気功師
獨協医科大学非常勤講師・臨床教授、日本医科大学医局に入る
退職後、国境なき医師団の一員としてミャンマーでマラリア治療に従事
「社会起業大学ソーシャルビジネスグランプリ2012夏」のグランプリ受賞
「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」を設立、代表を務める
1年の2/3をミャンマーの僻地診療と教育に従事
最近、NHKの人気番組「何故ここに日本人」に登場
「本日は、『生きる』という意味についてお話したいと思います。小・中学生頃の私は、医大などには、入れそうもない成績でした。高校の時、父が白内障になり、手術で完治したことが発端で、眼医者になろうと思い、入試を目指して猛勉強しました。」
「しかし、獨協大医学部に入学し、実際に医者になるまでには苛酷な生活が待っていました。特に女性の場合は、男性の3倍は働かないとやっていけないと言われましたし、日本医科大学の第1内科の医局に入ったときには、馬鹿にされ、学校格差も感じました。白い巨塔の言葉通り、派閥がありましたし、同じ医局員同士の仲も良くありませんでした。患者さんからは女医と言うだけで担当医となることを拒絶されたこともありました。逆に、『名知さんに診て貰ってよかった』と言われたこともあり、嬉しくなりました。」
「28歳の頃から医学とは異なるジャンルの本も読むようになり、人生を深く考えるようになりました。あるとき、マザーテレサの本『愛を誰かに与えれば、あなたを豊かにする』を読み、『私にはできない、何故テレサさんにはできるのだろうか?』、そして『命を受け止めて、人間をそのまま受け止める。国外に出でそのような医者になりたい』と考えました。」英語力がないと、活動できません。従って、英語学校に通い、TOEICが645点取れるまで頑張りました。』35歳のときでした。」
「私は、37歳で国境なき医師団に入り、ミャンマーの人達と出会いました。彼らは、教育を受けるチャンスも少なく、栄養不良で健康を害して、死んで行くような子供が多いのです。彼らが、自らの力で、自分たちの能力を精一杯出すことができるようにしてあげたいと願っています。栄養バランスの良い食事を作り、本来与えられている命を繋いでいってほしいと思います。医師として、病気を診ることと同時に、彼らの命の声を聴いてあげたいと思います。」
世界には、貧しいがゆえに、そして必要な最低限の知識を持たないがゆえに、与えられた能力や命を全うできずに生き、死んで行く人たちが多くいること。そして、私たち日本人が必ずしもそれらの人達に手を差し伸べてはいないことを痛感しました。
人間同士が繋がる世の中、皆で造る社会を目指して行きたいと願う者でありたいと思いました。
セミナー終了後、古屋会員によるマジックを楽しみながら簡単な食事を摂りました。そして、素晴らしかった名知 氏の講話を改めて嚙みしめました(出席者:42名)。
(平松 健男 記)
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