さまざまなイベント企画を行っている鎌倉市倫理法人会

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2016年11月24日木曜日

~運命自招~京都府倫理法人会 副会長 山脇 健司 氏

20161122

今朝も冷たい雨の降る中、10人ほどの役員が6時前には由比ヶ浜公会堂に集合、早速MSの準備、役員朝礼の練習に入ります6時半からは、セミナー開始です。

最初に松谷会長のスピーチです。


「今日の講話は、京都からはるばるお出でいただいた山脇 健司 氏(愛称:健さん,59歳)です。健さんは、鎌倫主催の座禅の会や海の家などにも参加して頂いた方です。今日は(11/22:いいふうふの日)、ご夫婦で参加して頂きました。私も会長を退くまでには、夫婦でMSに参加できるよう努力する積りです。妻先理論を実践し、一緒に活動したいと願っています。」

次は、田谷専任幹事の会員スピーチです、

「私も神奈川一の夫婦になると自負しています。春のように和やかで暖かい夫婦でありたいと思います。11年前に転職し、今の会社を設立。収入がない日々が続いたことで、妻には大変迷惑をかけました。最近やっと少し余裕ができ、精神的にも安定しています。妻の言うことは基本的に聴くことにしています。妻も私が欲していると思われることをその通りにしてくれることが多くなりました。私が興味を持っているTV番組のビデオを撮ってくれていたりします。私は時々夕食を作ります。妻は、小6の娘に、『料理を作ってくれるような旦那さんを探すのは大変だよ』と言い聞かせたりしています。」

いよいよ山脇 健司 氏の講話です。テーマは~運命自招~です。


山脇 健司 氏のプロフィール】
] 丸勝 代表取締役社長
家業の京菓子問屋を兄と経営するため修行中に、呉服問屋の長女である奥様と出会い結婚
奥様の実家呉服問屋「丸勝」に入社。しかし、16年前に倒産。

「倒産したときは夫婦仲も悪くなっていました。妻は摂食症で「死にたい」と口にすることがありましたが、『絶対に死なせない』とそのとき誓いました。」

「そんなときに出会ったのが『中村天風』の言葉でした。『人生は苦労してもいいが、2つだけしてはいけない苦労がある。過去を後悔する持ち越し苦労と、まだしてもいないのに、もしああなったら・こうなったらと取り越し苦労すること。』でした。」

「会社の整理もうまくいき、その後通販の『ニッセン』にヘッドハンティングされました。『丸勝をもう一度つくる』との夢を持って、「ニッセン」に入社しました。そして、倫理指導等で今までを見つめなおし、指導で指摘された内容を実践。丸勝を再興する夢を叶え現在に至っています。『夢があるから厳しさに耐えられる、厳しさがあるから夢が叶う』をモットーにすることにより、自分たちの辛かったことが輝きに変わり、夫婦が仲良くなり、会社の方も、それに伴って極めて順調になりました。」

 波乱万丈の人生の、最後に辿り着いたのが倫理というのが本音でしょうか。私達もこの話をお聴きして、夫婦仲を良くし、職場を明るくすることができ、人生に希望を膨らませることができるのは倫理だと心から思いました。


セミナー終了後、集合写真を撮り、オリーブの木に場所を変えて1コインで美味しい朝食を頂きました。感謝です。


その後、ご夫婦の「愛乗り人力車」で鎌倉駅までお送りしました。

(平松 健男、高田 桃子 記)

2016年11月16日水曜日

~命を育み、夢を育ててミャンマーの未来を~

20161115

冷たい雨の降る一日となりました。昨晩のイブニングセミナーの余韻を残して、今日の講師も名知 仁子 氏です。6時には10名を超す役員が集まり、役員朝礼が始まります。先週のモデル単会審査の結果、ランク落ちの「やまゆり」となり、再度「きく」に復活するべく、緊張した朝礼となりました。

6時半からは、セミナー開始です。最初に松谷会長のスピーチです。

「明後日、清興建設の活力朝礼を見学する会社があります。どこの会社でも社員に喜んで働いてもらうための工夫をしているのだと思います。会員を増やすためにも、このようなイベントを活かしたいと思います。」

次は、中山事務長の会員スピーチです、

「本日の栞の箇所は第11条です。中でも二宮尊徳のたらいの例話が好きです。

実は今まで勤務していた不動産会社から、別の不動産会社に移動しました。そこの社長が急逝し、後を頼むと言われたからです。女子社員一人との二人の会社です。会社の運営としては、自分さえ良ければではなく、女子社員やお客様の利益を考え、交換の持てる会社にしたいと考えています。まだ53歳。健康に気を付け、長生きしたいと思います。」

本日の講師は、昨晩のイブニングセミナーと同じ当会員の名知 仁子 氏です。

【名知 仁子 氏のプロフィール】
1989年獨協医科大学卒
内科医、気功師
獨協医科大学非常勤講師・臨床教授、日本医科大学医局に入る
退職後、国境なき医師団の一員としてミャンマーでマラリア治療に従事
「社会起業大学ソーシャルビジネスグランプリ2012夏」のグランプリ受賞
「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」を設立、代表を務める
1年の2/3をミャンマーの僻地診療と教育に従事
最近、NHKの人気番組「何故ここに日本人」に登場

「本日は、『感謝』という意味について考えたいと思います。ミャンマーの僻地では、、電気、ガス、安全な水、テレビ、電話などがなく、従って情報もなく、事故があってもそれを知らせる術もないことになります。車がスタックしても、助けを呼ぶこともできません。しかし、そのような時でも村人が見つけて助けてくれることがあります(感謝)。英語版の栞を皆さんに配って、毎朝輪読し、皆で考えるようにしています。お国柄や宗教の違いもあり、『おもてなし』の意味が日本とは違っています。相手の地位や職業によって、おもてなしの質が違ってくることがあるようです(お父さんの友達とお坊さんへの対応が違うように)。」

「栞の第6章に、『子は親の心を実演する名優である』とあります。ミャンマーでも子供の行動は、親とそっくりです。教育が行き届いていないこと、電気、ガス、きれいな水などが無いこともあるけれど、子供たちの可能性は無限だと思います。神父さんがグループを作って、歯磨き、お手伝いの活動などをしています。」

現在、ミャンマーの農村地帯での日当は200円程度ですが、農業・工業などの面で色々な改良がなされれば、発展の可能性は大きいでしょう。日本からの企業誘致なども見込めます。一挙に先進国の仲間入りができる素地がありそうです。

セミナー終了後、集合写真を撮り、オリーブの木に場所を変えて安価でゴージャスな朝食を頂きました。感謝です。
 
(平松 健男 記)

~ミャンマーの僻地医療を通じて生きるという意味を考える~

2016111418:30~20:00(出席者:63名)

鎌倉市倫理法人会主催の「イブニングセミナー」が鎌倉芸術館で開催されました。

開催に当たり、鎌倉ユネスコ協会より、「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」の活動に対する寄付が贈呈されました。


本日の講師は当会員の名知 仁子 氏です。


【名知 仁子 氏のプロフィール】
1989年獨協医科大学卒
内科医、気功師
獨協医科大学非常勤講師・臨床教授、日本医科大学医局に入る
退職後、国境なき医師団の一員としてミャンマーでマラリア治療に従事
「社会起業大学ソーシャルビジネスグランプリ2012夏」のグランプリ受賞
「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」を設立、代表を務める
1年の2/3をミャンマーの僻地診療と教育に従事
最近、NHKの人気番組「何故ここに日本人」に登場

「本日は、『生きる』という意味についてお話したいと思います。小・中学生頃の私は、医大などには、入れそうもない成績でした。高校の時、父が白内障になり、手術で完治したことが発端で、眼医者になろうと思い、入試を目指して猛勉強しました。」

「しかし、獨協大医学部に入学し、実際に医者になるまでには苛酷な生活が待っていました。特に女性の場合は、男性の3倍は働かないとやっていけないと言われましたし、日本医科大学の第1内科の医局に入ったときには、馬鹿にされ、学校格差も感じました。白い巨塔の言葉通り、派閥がありましたし、同じ医局員同士の仲も良くありませんでした。患者さんからは女医と言うだけで担当医となることを拒絶されたこともありました。逆に、『名知さんに診て貰ってよかった』と言われたこともあり、嬉しくなりました。」

28歳の頃から医学とは異なるジャンルの本も読むようになり、人生を深く考えるようになりました。あるとき、マザーテレサの本『愛を誰かに与えれば、あなたを豊かにする』を読み、『私にはできない、何故テレサさんにはできるのだろうか?』、そして『命を受け止めて、人間をそのまま受け止める。国外に出でそのような医者になりたい』と考えました。」英語力がないと、活動できません。従って、英語学校に通い、TOEIC645点取れるまで頑張りました。』35歳のときでした。」

「私は、37歳で国境なき医師団に入り、ミャンマーの人達と出会いました。彼らは、教育を受けるチャンスも少なく、栄養不良で健康を害して、死んで行くような子供が多いのです。彼らが、自らの力で、自分たちの能力を精一杯出すことができるようにしてあげたいと願っています。栄養バランスの良い食事を作り、本来与えられている命を繋いでいってほしいと思います。医師として、病気を診ることと同時に、彼らの命の声を聴いてあげたいと思います。」


世界には、貧しいがゆえに、そして必要な最低限の知識を持たないがゆえに、与えられた能力や命を全うできずに生き、死んで行く人たちが多くいること。そして、私たち日本人が必ずしもそれらの人達に手を差し伸べてはいないことを痛感しました。

人間同士が繋がる世の中、皆で造る社会を目指して行きたいと願う者でありたいと思いました。
 

セミナー終了後、古屋会員によるマジックを楽しみながら簡単な食事を摂りました。そして、素晴らしかった名知 氏の講話を改めて嚙みしめました(出席者:42名)。

(平松 健男 記)

2016年11月11日金曜日

~心と体の健康~(一社)倫理研究所 法人アドバイザ- 関口宇一 氏

2016118

6時半からは松谷会長の会長スピーチです。

「昨晩の倫理経営基礎講座では、経営の眼目には、以下の大・中・基本の三種があり、その中で最重要なのは③であることを学びました。

  :大眼目【地球の安泰】
  :中眼目【社会の健全なる幸福の増進、民族、国家の健全繁栄】
  :基本眼目【人のため】

今まで自社の経営において、③大眼目についての認識・自覚が不足していたことに気づき、大変勉強になりました。」
「話し変わって、先週、私が事故車をレッカー車で牽引中、事故車タイヤ4個のうち1個がパンクしま した。鎌倉から厚木まで搬送する所で、一般道から高速道に乗る手前でした。
私は、パンクタイヤに『ありがとう』と感謝しました。高速道路でパンクしたら大変なことになったと思ったからです。また、『このパンクは、道具の点検・後始末が不十分なために発生した』と思い、車や装備の点検・後始末に一層心掛けたいと思いました。

次は、
石渡 好行 相談役の会員スピ-チです

「私達は、何故倫理を学ぶのでしょう? 心の雑草を取り除くためです。」
「倫理指導が他責要因とすれば、会員スピ-チは自責要因です。会員スピ-チ10回は50分で、講話時間相当となります。みなさんも積極的に会員スピ-チをしてください。講話を担当すれば、自分自身を見つめ直し変えていくきっかけにもなります。話していると,
色々なことに気付きます。」

いよいよ、法人アドバイザ- 関口 宇一 氏の講話です。

関口 宇一 氏のプロフィール】
(一社)倫理研究所 法人アドバイザ-
運送業を成功させ、79歳の今も、現役として全国を飛び回られる

関口氏は、現在まで入院もせず、見た目も大変お若くいらっしゃいます。
「日本創生は元気で長生きすることです。100歳以上の方が年々増えてきていますが、ただ生きているだけでは意味がありません。健康で長生きするという健康寿命を伸ばすことが大事です」

「兄弟13人中、男は8人でしたが、現在生存しているのは、私一人です。倫理に入会後、生活習慣が変わり、今は性格も変わったので生き残れました。会員普及にも、長生き健康法を教えて差し上げるという気持ちで対応すればいいのではないでしょうか。」元気一杯の関口氏からは、健康と若さを維持するために、日々良い習慣を積み重ねる大切さを学びました。

【関口氏の健康法の一部】
●食事の一時間前に水を飲む
●食事は植物性85%、動物性15
●酒、たばこ、薬は飲まない
●頭寒足熱(靴下を履いて寝る)
●寝る前4時間は飲食しない

【100歳以上生きた人の秘訣】
●よくしゃべり、よく笑う
●悲しいことは考えない
●感謝の心を忘れない
●腹八分目で何でも食べる
●よく体を動かす
●好奇心旺盛
●人と付き合うことが好き

関口氏のバイタリティー溢れる講話には、皆さん圧倒されました。国の豊かさは、老人の元気度によると思いました。
(松谷 直、高田 桃子、平松健男 記)

2016年11月2日水曜日

~母を想う心~蔵田 のり子


2016111

冷たい雨の朝を迎えました。上着にコートという厚着をして由比ヶ浜公会堂に向かいます。6時には机や椅子を並べ終わり、役員朝礼です。来週は朝礼の「モデル単会認定」のコンテストがあるので、「菊」の称号を獲得するために、細部に亘って練習です。役員朝礼を終え、6時半丁度にMSが始まります。

最初に、松谷会長の会長スピーチです。

「小林正観さんの『心を軽くする言葉』の本から、『ありがとうを言い続けていると、いいことがありますよ。』という一文を紹介してきました。これには、その続きがあって、『不平不満、悪口、愚痴等を口にすると、それまでのいいことが帳消しになる。しかし、10秒以内に、今のは間違いです』と取り消せば大丈夫だそうです。
やってしまった間違いに気づかないことのほうが問題だということです。気づいてステップアップしていくことが大事です。」

「私は、現在腰が痛いのですが、『腰が痛い』を口にせず、姿勢が良い人はどのような姿勢をしているかを考え、それを実行しています。皆さんも自分でいいと思ったことは、実行してみてください」

その後、前日にお誕生日を迎えた白木  大五郎副会長に、花束がプレゼントされました。

 次は、川戸 裕祐 会員の会員スピ-チです

「新婚11か月目です。人生には幸・不幸がつきまといますが、できるだけいい方向に捉えるようにしているので、幸せな気分でいます。雨がっぱを着用したとき、重くて嫌だと思うのか、雨に濡れず、温かくなって良かったと思うのかで気分は大きく違います。積極的に良い方向に考えて暮らしたいと思っています。」

 いよいよ、蔵多 のり子 氏の講話です。

【蔵多 のり子 氏のプロフィール】
鎌倉市倫理法人会 幹事
マノマッジオ 代表

「私は鳥取の米子市(田舎町)で、国鉄マン(駅長)の父(52歳で癌で死亡)、母(90歳)、兄(私より9歳上)、姉(私より8歳上、31年前に癌で死亡)の5人家族の中で、高校まで育ちました。
父が転勤族でしたので、1~2年毎に転校しました。父が亡くなったとき、母は40歳前半で、3人の子供を抱えることになり、苦労しました。
父が亡くなって、母は小さな家を建てて家族で住むことになりました。しばらくして兄、姉が東京に出、私も高卒後に大阪の看護学校(4年間)に行くことになり、寮生活を送りました。やがて、東京の兄が郷里の家をたたみ、お墓も東京に移転しました。
母は東京で兄と同居することになり、狭い部屋に入るだけの家財道具に絞り、新たな生活をすることになりました。田舎育ちで外には出たがらない母だと思っていましたが、案外都会に溶け込み、外出もし、親しい友人もできたようでした。現在は、施設(老人ホーム)に入っています。」

「今思うと、母には大変な苦労を掛けながら、そのことに感謝もせずに過ごしてきたことを大変後悔しています。今後、年老いた母とはできるだけ一緒にいる時間を増やしたいと思います。母は、食事の食べ方など厳しい面もありましたが、おやつは自家製、家の中には一輪の花が飾られることも多く、平穏な毎日でした。」

「子供が親を想う心は、親が子供を想う心には到底かなわないし、『子を持って知る親の愛』という諺の持つ意味が分かってきたこの頃です。」

 その後集合写真を撮り、オリーブの木で1コインの美味しい朝食を頂きながら皆で講話の印象を話し合い、「親の愛情の深さ」について、各自の考え方を述べ合いました。
 
         (高田 桃子、平松 健男 記)