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2015年10月8日木曜日


~俺の生き様。倫理と出会って~三谷 大和

台風が来るたびに秋の訪れを感じます。暖かくて比重の軽い海面の海水が、台風でかき混ぜられ、海底の冷たく、重い海水と混ざり合い一挙に低温になるからでしょう。海面温度か、その付近の気温を左右すると言われています。
ノーベル賞が発表になりました、物理化学関係で2人の日本人科学者が受賞されることになりました。いずれも、自らの収入には無頓着で、一途に研究に没頭し、ご両親や奥さまへの感謝の気持ちを赤裸々に語っておられました。j受賞に当たり、良きご両親・ご家族、良き先輩・後輩に支えられたご自分を感じておられるようでした。家族や、友人との間に、良い関係があってこそ、世の中、人のためになれる一流の仕事ができると確信しました。

 松谷 会長のご挨拶に続き、中山 裕一 氏の3分間スピーチです。

「私は離婚歴があり、今では、その原因は自分の傲慢さにあると思っています。本日の栞の輪読は、第5章『夫婦は一対の反射鏡』ですが、私にとっては最も苦手な箇所です。4年前に倫理に入会してから、MSに欠席することが多かったのですが、あるとき、飲み屋で偶然に清水会員とお会いし、『もっとMSに出席した方がいいのでは』と、たしなめられ、また、皆さんからも同じように励まされ、また出席しようと思っています。」

松谷会長からも、会員の50%の出席率を目標にしようとのお話があり、私たちも引っ込み思案にならず、積極的に声掛けするようにしたいと思いました。

いよいよ三谷 大和 氏の講話です。

【三谷 大和 氏のプロフィール】
千葉県八千代市倫理法人会 相談役
(株)大和 三谷大和スポーツジム 会長
1971年岡山県津山市生まれ、9歳からボクシングを始める
高校3年でインターハイ優勝
早稲田大学に入り、全日本チャンピオンに
プロデビュー後、日本タイトル、東洋チャンピオン、世界タイトルマッチへの挑戦などの輝かしい戦績を誇る
95年:東洋太平洋タイトル獲得
96年:WBC世界S.フェザー級タイトルマッチを2度実施(タイトル奪取ならず)
98年:プロ引退
02年:三谷大和スポーツジム創設

最初に三谷氏とお会いし、名刺交換したときには、穏やかで優しそうな雰囲気一杯の方でした。しかし、講話が始まり、三谷氏のご両親の離婚やその経緯、ご本人の離婚歴、そして、プロボクサーとしての壮絶な競争の世界を生き抜いてきた方の我慢と頑張りの根源について教えて頂きました。「事実は小説より奇なり」を地で行く方だと思いました。

幼少時からお父様の厳しいスパルタ教育を受けられ、あるとき、お母様が家から出ていかれました。その中で、幼な心にご自分が我慢し、頑張れば、お母様は帰って来られると信じ、ボクシングの面でも磨いて来られたとのこと。倫理に入った後に、お母様に久し振りにお会いしたときには、『産んでもらってありがとう』と言えたこと。いくら勝っても、褒めて貰えなかったお父様にも謝罪し、フェザー級の王座決定戦で負けたとき、『よく頑張った、これでいい』と言って貰えたことなど、涙なしでは聞けない講話でした。お母様、お父様との劇的な和解があり、倫理の道の素晴らしさを教えて下さいました。

現在は、三谷大和スポーツジムで、後進の育成に勤しむとともに、八千代市倫理法人会の相談役として各地で公演され、好評を得ておられるとのことでした。

DVDでの迫力あるタイトルマッチの画像なども見せていただきました。どのように見ても勝っていると思われる試合が、審判の判定では負けにもなることがあるという残念なものでした。

「私の座右の銘は、【行き着く港の無い船に、風は決して帆を押さない。】です。【目的(夢)があれば、必ず、応援してくれる仲間がいる。】という意味で、現在、経営しているジムに、私と同様な境遇の青年で、昔の私と同じように、世界タイトルを狙っている齋藤 君がいます。私は、この青年を心身ともに応援しています。彼の可能性に賭けています。」

この後、集合写真を撮り、オリーブの木で、1コインで栄誉たっぷりの朝食を頂きました。
いつも通り、本日の感想を述べ合い、有意義なときを過ごすことができました。
帰りは恒例の人力車です。八千代市の田中幹事と同乗し、人力車に乗って鎌倉の街をしばし散策です。

 平松 健男 記)


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