早朝から雨がしとしとと降る肌寒い梅雨空となりました。公会堂では、目を輝かせて、いつも通りのきびきびとした役員朝礼です。
6時半から、松谷会長の挨拶が始まりました。
「皆さんの努力で、11日のチャリティコンサートは、ほぼ満席で、成功裏に終えることができました。感謝です。これからの普及活動に是非繋げて行きたいと思います。今期の目標70社達成の実現に向けて共に頑張りましょう。」
次は、石渡 好行 相談役の会員スピーチです。
「私は、人を育てることが大切だと思います。若い人を育てるために生きているとも思っています。少しでも若い方々に色々なことをお伝えしたいと考えます。誰もが、楽しく、幸せに暮らしたいと願っています。自分が若い頃に我儘に育ってきましたので、65歳のときに『ありがとう』運動を始めました。今までに1千万回を達成しました。またお墓参りにも行きました。心を込めなければだめです。毎朝早起きして仏前でご先祖様に一人朝礼をし、『ありがとう』を称えます。倫理は実践です。眼の不自由な人にとって、電車のホームは命掛けの場です。抱え込んであげると、とても喜んで頂けます。これらを実践することが倫理にとって重要なことと思っています。」
本日の講師は、倫理研究所 法人局普及事業部 主事 首都圏方面 副方面長 丸本 敏文 氏です。講話のテーマは【倫理の自由境】です。
【丸本 敏文 氏のプロフィール】
1,977年2月生まれ2,0002年 社団法人 倫理研究所に入所
富士教育センターにおいて、所定の過程を受ける
2,004年 法人局教育事業部 配属
2,008年 法人局普及事業部 九州・沖縄 副方面長
2,010年 法人局普及事業部 中国・四国 副方面長
2,011年 教育センター 育成部 配属
2,012年 9月 法人局 普及事業部 北海道・東北方面 副方面長
2,013年 9月 法人局 普及事業部 首都圏 副方面長
…現在に至る
「以前、倫理学問として体系付けるため、『実験倫理学大綱を研究する大学』を作ろうという話がありました。しかし、時期尚早ということで、大学創設は断念しました。その際、『倫理の自由境』という概念を考え、自由とは素直な心に還ることで、色々な知識を持てば、歪んだ心になってしまうと考えました。素直に現状を受け入れることが大切です。」
「ある運送会社の話です。その会社には社長の外に4人の社員がいました。その会社で、三つの異変が同時に発生し、4人の社員が同時に会社を辞めました。
① 社員同士の不倫、
② トラックを田んぼに落とし大破、
③ 将来を期待できる若い社員なのに、心の病があり、朝起きても会社に行けない、
などでした。私は、80歳を超える女性の法人アドバイザーから倫理指導を受けました。『社長のお母さんは寂しがっていませんか?』と訊かれ、電話で確認すると、『社長には、女性関係がある。』とのこと、その女性との縁を切ったところ、家族関係が改善され、立ち直ることができました。
私の場合は、倫理指導を受け、『朝起きたときなど、妻にちゃんと挨拶するように、しかも名前を呼んでおはようと言うように』と指導されました。最初は言いづらかったのですが、努力して言われた通りにすると、家族関係は随分改善されました。これに『ありがとう』を追加し、『愛しているよ』も追加すると更に改善されると思います。」
「家庭倫理の会には、16歳のときから入っていて、その後、タイル職人を6年間していました。25歳のとき、タイル業の親方から分かれて、倫理研究所への入所を決意しました。入所に際しては何故入所したいかの文章を書かなければならず、当時の研究所の局長から急かされ、頑張って完成させました。今となっては、自分が幸せな男であり、良い勉強になったと思っています。
入所してから色々と苦労もありましたが、一つ一つを受け入れて前向きに決心しながら、倫理の道を進んでいきたいと思っています。」
丸本 氏は、16歳で倫理の路に入られ、ご苦労しながら倫理の本道を歩んで来られました。今後とも倫理の普及に取り組まれ、輝かしい人生を辿られますよう、祈っています。
この後、1コインの朝食を頂きながら、講話の感想などを話し合い、笑顔の集合写真を撮りました。
食事後、鎌倫恒例の人力車で、小雨の由比ガ浜往復を楽しまれました。
(平松 健男 記)
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