2016年4月28日木曜日

~お金ドックで経済習慣病の改善~佐藤 とみ子 氏

2016426日(火)                                                                 
桜の花が散り、緑の濃さが目立ち、春の花(さつき)が一度に咲く季節となりました。本日のMS講師は、(一財)1円くんまごころ財団の理事長をされている佐藤 とみ子 氏。私たちの殆どが馬鹿にしている1円玉が果たしている役割について、今一度見直す機会を与えてくださるのではと期待しています。

最初に、松谷会長のスピーチです。


「専任幹事の根岸さんが専任幹事を辞することになりました。私は、そのことを自分の至らなさにあるとして、自己を反省し、今後精進して参りたいと思います。
九州の熊本地方は地震とそれに続く家屋や道路などの破損がひどく、容易には再起できない状況にあります。県の倫理法人会の方針に則り、義援金を集め捧げたいと思いますので、皆さんにもご協力していただきたいと思います。」
次は、皆川副会長の会員スピーチです。
 
 
「本日のMSの栞の項目は、17条『人生は神の演劇』です。娘が小学5年生のときに学校であった話をします。1~4年生の間、娘のクラス担任生は素晴らしい先生でしたが、5年生になって、大外れの先生が担任となりました。眼は死んでいて、授業をしながらでも寝てしまうという、とんでもない先生でした。子供たちは、最初は驚き、失望もしたのですが、しばらくすると、その先生のありのままを受け入れようとしたのです。寝てしまってもしばらくは様子を見るという対応でした。しかし、その対応が、先生を『鬱病』から立ち直らせ、素晴らしい先生へと変えて行きました。神様とはそのような子供達なのかもしれません。」

 いよいよ、佐藤 とも子 氏の講話です。

【佐藤 とも子 のプロフィール】
(一財)1円くんまごころ財団 理事長
鎌倉市倫理法人会 会員

1円くんまごころ財団とは:1円玉を2人以上の人に贈ります。貰った人は自分の1円玉を加えて、また2人 以上の人に贈ります。結果、1円が大きな価値を産むことになります。そのような運動を呼び掛けているのが、まごころ財団です。

「お金には無頓着だった私が、お金の気持ちになったのが11年前のことでした。そして、この財団を立ち上げました。全国を巡って私がお金の意味について講演したこと、そして、当時の日銀総裁・福井俊彦氏の応援もあって、次第に知名度を上げてきました。1円玉は大きな価値を産むのに、大変粗末な扱いを受けていることは悲しいことです。1円くんという擬人化した呼び方については、お金の気持ちを色々な人に親切に伝えようとして採用しました。1円玉の直径は20mmで、重さは1gです。見た目より存在感はあります。」
筆者註:1円玉の制作には1円以上が必要ですし、昔から、貨幣を失くしたとき、その貨幣価値以上のお金を掛けて探し出したという話は多い。

私は、10年ほど前に風邪の菌が脳に入り、数十日間眠り続けました。1週間経ち、1カ月経つうちに意識が元通りに奇跡的に復活したのですが、最初は尿1滴出すのにも苦労しました。意識が回復していない状態を『この世』と『あの世」の中間であることから『その世』と呼んでもいいと思っています。

その後もお金にまつわるお話を色々と訊かせていただきました。お金は生きもの。一円不足しても決済できないこともあります。お金の大切さを一円玉の例で再認識させられました。

この後、いつものように集合写真を撮り、オリーブの木で美味しい朝食を頂きながら、皆さんでMSの感想を述べあいました。この雰囲気は最高ですね。
 

その後、恒例の人力車で、鎌倉駅を往復されました。
 

 

平松 健男 記)

2016年4月20日水曜日

~天国と地獄を見た男の成功原理~五十嵐 由人 氏


2016419日(火)

東日本大地震から5年、地震や火山活動が頻発し、今度は震度7の熊本地震が発生しました。日本は、どこで大地震や火山の大爆発が発生してもおかしくない国になったような気がします。

いずれも地中の深いところの異常状態が原因で、その発生メカニズムが詳細には分かっていないものです。最初の一発目の本地震に続き、それよりは弱い余震が次々と発生し、次第に規模が小さくなって収束していくという筋書きは、あくまでも、過去の地震から得た統計的推論であり、地震のメカニズムから得た結論ではありません。

従って、プレート間に発生している歪みエネルギが新たな不安定状態に移行する際、歪みエネルギが大きくなってしまうこともあり得ることを物語っています。いずれにせよ、熊本、大分の地方の方々の不安はしばらく消えそうにありません。日本全体に降りかかった苦難として、国民全体で受け止める必要があると思います。さて、本日は、先天性の病を克服され、事業倒産という地獄の中から蘇られた五十嵐氏の本当の強さに触れることができそうです。出席者は胸をわくわくさせながら講話の始まるのを待ちました。

最初に、松谷会長のスピーチです。

「本日は、3人の方々が初めて鎌倫のM Sに出席されました。大変喜ばしいことと思います。熊本の方では大地震による死者が40名を超え、不安に怯えながら不自由な避難生活を強いられています。鎌倫としても義援金を集めて、お送りしたいと思いますので、ご協力をお願いします。」

次は、藤生幹事の会員スピーチです。

「豊澤幹事の講話の中から引用させていただきます。正4角形の各辺に、『愛』、『健康』、『生き甲斐(仕事、使命感)』、『豊かさ(お金)』を対応させると、これら全てを満足させることは困難となります。ミャンマーで活躍中の名知さんは、日本でお医者さんをやっていれば、金銭的な豊かさを享受できることは明らかなのに、敢えて豊かさとは無縁の『愛』を目指して働いておられます。しかし、それに共鳴した方々からの援助金が豊かに与えられ、神様が『豊かさ』の面でも名知さんを守ってくださると確信したいと思います。正しい行為であれば、この4角形のどれもがバランスよく与えられると私は思うのです。」

いよいよ、五十嵐 由人 氏の講話です。

五十嵐 由人 のプロフィール】
1942年、福島県会津の農家の長男として生まれ
福島県立農業高校を2年で中退、「商人』を夢見て上京
18才で独立。林業の事業主となる
23才で、ディスカウントストア「ダイクマ」に入社。27才で営業部長に就任
33才で、()アイワールドを設立。以後ホームセンター経営で破格の業績を挙げ、時代の寵児として業界の話題をさらう
過大投資が命取りとなり、60才のときに民事再生。個人財産を放棄
同年、再生を実現
同年、生きる研究所(五十嵐経営塾)を設立
2010年、『大和 晃三郎』の芸名で演歌歌手としてデビュー
東京都湯島倫理法人会 会長
()日本健康増進協会 取締役副社長

 私の人生経験から、祈りは大切で、祈りは必ず通じると思います。朝起き・明朗・愛和・喜働など倫理で大切にしているアイテムの実践が重要だと思います。暗い心からは良い結果は何も得られませんし、実践を伴わなければ、無意味です。倫理に入っても、辞めて行く人もいますが、そのような人との縁も大切にしたいものです。私の人生は、本当に強運であったと思います。私は三つ口で生まれました。両親は驚き、悲しんだと思いますが、祖母は、『うろたえるな。』と言ったそうです。祖母は、祈りの人でした。朝早く起きては神棚に向かって祈っていました。祖母は貧しい生活でしたが、女手一つで家族を養っていました。電気もなくランプ生活でした。その祖母が、『障碍を持って生まれたら、福の神がやって来た!、我が家が栄える元』と、あくまで前向きに捉える人でした。苦難を苦難とは言わず、転じて『おめでとう』という人でした。父は、『3才までに自分の考え方を明確にするべき』と考えていました。幼児期に、自分は将来何をしようと思うかが重要だという考えです。そして、そのことをいつも念じていれば、その通りになるという思いです。人間の能力に差はありません。私は6才のときから商売には長けていました。それが今までの成功への道を約束してくれたように思います。また、親に目覚め、親に感謝することも重要です。親に目覚めることによって、今まで駄目だったことが無限の能力を産むことになります。仕事が好きになり、心を込めて本気に仕事をすれば、無限の可能性が開けてきます。仕事が楽しくてしょうがなくなります。ダイクマ時代には、破格の給料を貰いました。その後、自分で起業しましたが、過剰投資による資金繰りの悪化で民事再生状態に陥ったときには、全ての個人資産を投げ打って対応しました。その結果、超短期に再生することができたのです。そういった意味でも、自分は強運の持ち主だと思っています。人生の成功者になるには、倫理を学び、全てをプラス志向に考えることだと思います。若々しい五十嵐氏を眩く感じたのは、私だけではなかったと思います。

この後、いつものように集合写真を撮り、オリーブの木で美味しい朝食を頂きながら、皆さんでMSの感想を述べあいました。

その後、恒例の人力車に、皆川副会長との相乗りで鎌倉駅を往復されました。平松 健男 記)

2016年4月12日火曜日

~鎌倉武士の素顔~大貫 昭彦 氏

2016412日(火)
満開の桜が終わると一挙に葉桜になりました。満開までは、少々の気候変動にもびくともしなかった桜の花が、満開を迎えると、かすかな雨や風にも耐えられず、あっという間に散っていく。これこそ、日本人が、潔い桜の花が好きなところではないでしょうか。春分を過ぎ、足早に季節の変わり目がやってきました。早朝の5時には、もう明るくなっています。

本日は、鎌倉を愛する会 会長 大貫 昭彦 氏をお招きし、日本初の武士政権を獲得するに当たって、源 頼朝の国家統一の考え方などについて、お話して頂きました。

最初に、松谷会長のスピーチです。


「大貫先生には、鎌倉のパワースポット巡りの際に色々と教えて頂いたことを想い出します。本日は、歴史に基づく鎌倉市の成り立ちについて、お話しいただけると思っており、楽しみにしています。鎌倫としては、今年度末に70社(現在44社)を目標に、皆さんと共に、目標達成に向けて活動します。倫理を学ぶ必要がありそうな方を、是非お誘いしてください。よろしくお願いします。」
次は、中山 裕一 幹事の3分間スピーチです。


「私の父は57歳で亡くなりました。私は現在52歳で、仕事柄アルコールを飲む機会も多く、病死に至る確率が大きいと自覚しています。万が一、お葬式となったら、BGMとして流してほしい音楽を3曲決めてあります(ベートーベンの交響曲、マーラの交響曲など)。」として、CD演奏することになりましたが、持ち時間が短い上、選曲に戸惑い、残念ながら殆ど聴けませんでした。

いよいよ、大貫 昭彦 の講話です。


【大貫 昭彦 氏のプロフィール】
鎌倉を愛する会 会長
鎌倉考古学研究所 理事
1938(昭和13)年生まれ、鎌倉市在住
大学卒業後、中高教師を経て1984年に随筆家として独立
各地で講演活動、月刊誌や生活情報誌などへの連載など多数

40年前に『鎌倉を守る会』と、『鎌倉を愛する会』の両方を設立したのですが、守る会の方は、消えてしまいました。愛する会の研究で、鎌倉の何に魅力があるのかが判ってくると、その魅力を守り続ける(愛する)ことが重要になってきます。鎌倉に関する考古学を研究していると、学校や図書館などへの協力・推進が必要だということが分かります。年間2万人もの観光客が訪れる鎌倉の魅力、奈良や京都にはない魅力を理解し持ち帰って貰うにも、鎌倉の文化遺産をいい状態で保存する必要があります。鎌倉時代のことが書かれた吾妻鏡は、価値ある歴史書・文学書です。その吾妻鏡には、裸一貫から世の中を統括するまでになった頼朝の偉業が書かれています。」

このように、大貫氏は、鎌倉へ来て何を感じ取って帰っていただけるか?をテーマに、日々活動をされています。源頼朝は、地位や仕事の分担に囚われない柔軟な思考、相手の実力や思想の奥底を見抜く力を持っていたことで、家来や敵の信奉も篤く、そのことが彼の成功のキーポイントであったとの見解が示されました。現代の縦割り職制による硬直化した人間管理システムの課題を解決していたと見るべきであろうとのことでした。

質実剛健の武士の生き方の中にある柔軟性、その流れをくむ薩摩の国鹿児島の特異性についてもお話しいただきました。その中には、示唆に富むお話が一杯詰まっていました。


 この後、いつものように集合写真を撮り、オリーブの木で特別価格の美味しい朝食を頂きながら、皆さんでMSの感想を述べあいました。
途中、先週のMSにも参加された方の入会の意思表示があり、大きな拍手が鳴りやみませんでした。その後、恒例の人力車に、石川真理子幹事との相乗りで鎌倉駅を往復されました。


平松 健男 記)

2016年4月7日木曜日

~足下の実践~宇都 進 氏、寺嶋 朗圭 氏

201645日(火)

三寒四温を経て、めっきり暖かくなり、鎌倉でも桜が満開となりました。

MSが実施される由比ヶ浜公会堂には、6時から十数名の役員がきびきびと朝礼を始めます。

本日は、(一社)倫理研究所から、「宇都 氏、寺嶋 朗圭 氏」をお招きし、講話が持たれます。

最初に、松谷会長のスピーチです。


「先日、倫理基礎講座の際、『私は、会長になって、挨拶の機会が多くなったのですが、上手に挨拶できない』と、相談しました。そのとき、『感謝の心が足りないからでは?』と言われました。早速、会社周辺の清掃をしようと思い、はさみなどの清掃具を購入しました。皆さんもできることから即実践して頂きたいと思います。」


その後、結婚された川戸 裕祐会員、誕生日を迎えられた石川 真理子幹事、加藤 愼吾会員に、会長より花束が贈呈されました。
 


次は、蔵多 のり子幹事の3分間スピーチです。

「私の母は、認知症で、兄の家で暮らしています。兄は、母の介護を一手に引き受けています。夜は添い寝し、トイレに連れて行くなど、母のお世話をしています。それまで、兄がこのように母のために尽くしてくれるとは思ってもいませんでした。私は日曜日の24時間、母を介護しています。母は、時々きつい言葉を発したり、同じことを何度も繰り返して話すなど、認知症特有の言動がありますが、母は、『今までの自分とは違っているかもしれないけれど、どうかありのままを見守ってほしい。』と言っているように思えます。そのような母を、子供のようになって消え去りゆく存在としてとても愛おしく思えるのです。」お母様への愛情、お兄様への想い、胸に響きました。

いよいよ、宇都 氏の講話です。
宇都 のプロフィール】

1974(昭和49)年生まれ 東京都出身
2004
年 社団法人倫理研究所に入所
2015
8月法人局普及事業部 首都圏方面担当研究員現在に至る

「倫理活動開始から75年目の節目に倫理法人会の歌『夢限りなく』と同じメロディで、新たな歌詞の『夢果てしなく』が発表され、奇数月には、『夢果てしなく』を唄うことになりました。本日は、現場研修中の寺嶋 朗圭氏をご紹介し、彼の実践について話してもらいます。」

ということで、社団法人倫理研究所の研究生朗圭氏の講話を伺うことになりました。
「私は、町田市の出身で、現在30歳です。大学まで野球に熱中していました。大学卒業後は保険やローン(主として個人関係)の会社に勤務し、月刊誌の発行もしていました。家には祖母、母、私の3人が一緒に住んでいました。あるとき、祖母が騙されて多額の借金を抱えることになり、同時に祖母、母が倒れて途方にくれました。借金を返済するため、住まいを売却することになりましたが、期待した金額では売れそうにありませんでした。丁度その頃、離婚した父と十数年ぶりに会いました。4日間話し合うことができ、父は、この間ずっと私たちのことを気にかけてくれていたことが分かりました(感謝!)。墓参もし、先祖にも呼びかけました。運よく高額で購入してくれる人が現れ、高価で売却でき、借金を返済できました。親、先祖とは見えない糸で繋がっていることを実感しました。」

この後、集合写真を撮り、オリーブの木で特別価格の美味しい朝食を頂きながら、皆さんでMSの感想を述べあいました。
満開の桜に包まれた鎌倉の街を、お二人の相乗りで鎌倉駅に向かわれました。
平松 健男 記)