2015年9月29日火曜日


~天に伝える感謝の気持ち~篠原 由香

昨晩は久し振りの晴天で、大きな満月(スーパームーン)を見ることができました。月は地球に対して楕円軌道を描いているので、両者の距離の最少値に対する最大値の比は、11.14倍と変化します。たまたま距離の最少値と満月とが一致すると、満月の直径が1.14倍に膨らむとともに、明るさ(光のエネルギ)も1.3(=1.142乗)倍になります。

本日のMSには、友好単会である新宿区倫理法人会から篠原専任幹事をお迎えしました。

最初に松谷 会長の3分間スピーチです。


「シルバーウィーク前後に、会社のレッカー車で2件の事故が発生しました。いずれもお客様の車との接触事故です。連続して発生したことから、後始末の徹底など気づいたら即実行を朝礼で呼びかけました。このようなときこそ、何らかの対応策を即実行するべきだと思いました。」

続いて、豊澤 早一妃 氏の3分間会員スピーチです                                 


「私は最近呼吸法や瞑想を勉強しています。その中で、『全一統体の原理』との関係を勉強しています。
*:自分と自分の肉体、自分と物体、自分と他人、自分と環境などとの関係を追求していくと、自分の心が周りの全てにつながり、影響するという原理。
ものの本質が心に影響し、その心が全ての現象に影響を与えるということで、このことを『本質:A』→『心:B』→『現象:C』と書き直すと、大切なのはABの過程であって、『ありがとう』、『ごめんなさい』、『赦してください』、『愛しています』の心が大切だと思います。」

 いよいよ篠原 由香 氏の講話です。
【篠原 由香 氏のプロフィール】

東京都新宿区倫理法人会 専任幹事
レインボーガーデン 代表
1964年東京生まれ、5歳から高卒まで宮城県多賀城市で育つ。
短大卒後、某印刷会社に勤務したが、納期に追われる社員群に落胆、39歳で退職。気持ちよく仕事をし、心の健康に役立つセラピー(植物の芳香による癒し)に関する職種を選定して起業。


 「認知症をアロエで治すなど、良い匂いは、自律神経を整え、健康に良いことが知られています。また、芳香は脳を刺激し、若さを維持し、集中力の向上に効果があると言われています。」ということで、匂いを放つ紙片を1枚ずつ頂きました。
「倫理へ入会後4カ月で、いきなり専任幹事となり、4年目に副会長となりました。それぞれの役職にはそれぞれの権限と任務があります。特に縦の関係は重要で、報告、相談がきちっとされないと、淀みが生じ、組織は活性化しません。その点で、新宿区倫理法人会には難しい問題も沢山ありましたが。幹部の気持ちが溶け合う良い関係に恵まれたと思います。その陰には、会長をサプライズさせる企画(ナイトセミナー、懇親会など)を幹部が真剣に取り組んだこともあったと思っています。新倉会長を支え、常に前向きに取り組み、遣り甲斐のある仕事でした。サプライズの企画も、『楽しくなければ倫理ではない』との石渡今日様の言葉の通りでした。今後とも、新宿区では、三役が心を通わせ、一丸となって難局を乗り切ることができると思います。個人的にも、今では倫理から抜けられないと思っています。何回かの倫理指導を受け、その指導に従って歩んできたことで、今の自分を形作っています。」


 
この後、集合写真を撮り、オリーブの木で栄誉たっぷりの朝食を頂きながら、本日の感想を述べ合い、有意義なときを過ごすことができました。

 
食事後は、恒例の人力車で鎌倉駅までの往復です。江戸川区倫理法人会の小林良子会長とお二人で古都の朝の散歩を楽しまれました。
 
平松 健男

2015年9月15日火曜日


~子は親の背中を見て育つ~田谷 智広
~その時その場「モーニングセミナーでは・・・」~根岸

50年に一度の異常豪雨で、栃木県や宮城県では河川の大氾濫があり、人的・物的に大きな被害を受けました。気象庁からは事前に特別警戒警報が出されましたが、県や市町村からは、的確な被害予測がなされず、適切な避難誘導もありませんでした。助かった人の中には、頻繁に川の様子を見に行き、危険を感じると、家族全員を橋の向こうにある対岸の高台に避難させ、全員無事だった家族がいました。しかし、殆どの人達は、溢れそうになった川を見に行くなどはもっての外という常識を守り、結果的に多くの犠牲者と財産とを失うことになりました。東日本の震災に伴う津波でもそうでしたが、本当の緊急時に頼れるのは、自分自身でしかなく、その判断が間違えば、命を失うことになります。行政側は、ハザードマップの作成だけでなく、想定外の事態が発生したときにも、その深刻度に応じて、段階的で具体的な避難計画を提示できる体制を整えるべきですし、それに応じた避難訓練をしておくことが重要だと感じました。
久し振りにすっきりと晴れた青空に、そよ吹く風も涼しく、一挙に秋を感じさせる天候になりました。予定通り、6時丁度に、8名の役員による役員朝礼が始まりました。きびきびとした掛け声が公会堂内に響きます。
最初に、松谷会長のご挨拶です。

「新年度を迎え、これまでの方針を引き継ぎ、『日本創生に役立つ人材の育成』と、『倫理を学ぶ組織の受け皿』として、鎌倫を育てて行きたいと思います。」
続いて、9/11(金)の辞令交付の伝達式が実施され、松谷会長から皆川副会長に辞令書が一括手渡されました。
次に、清水会員の3分間スピーチです。
「私の父の趣味は、釣りでした。また、母はバドミントンの選手でもある体育会系の女性でした。最近、母はタクシーから降りるときに転び、足の骨(皿)を折るという災難に遭い、今日はその手術をする予定です。豪放磊落な母でしたが、私が子供の頃、父に叱られると、かばってくれる優しい母でした。年老いた父母には、せいぜい親孝行をしたいと思います。」

次は、田谷 智広 氏の講話です。
【田谷 智広 氏のプロフィール】
鎌倉市倫理法人会 事務長
たや社会保険労務士事務所 代表



「私の家には、10歳と1歳半の子供がいます。下の子は、親の真似をしては喜んでいます。私が妻の足を揉み、妻が心地よさそうにしていると、自分も妻の足を揉みに行き、喜んでいます。倫理を学んでいるからでしょうか?子供をむやみに叱るのは止めにしています。叱るとしても、メリハリの効いたしかり方をしたいと思います。私としては、春のような和やかな家庭が理想です。そして、鎌倫も、皆さんのご意見を聴きながら、同じように仲良く、和やかな雰囲気の会にして行きたいと思います。」

 次は根岸 氏の講話です。
【根岸 氏のプロフィール】
鎌倉市倫理法人会 専任幹事
() 美車 代表取締役


 「専任幹事として今後どのようなことをして行けばいいのかについて、考えているのが現状です。私は入会して間もなく形から入る。まずは実行していくことだと言われ早起きからやりました。絶対倫理は生活の法則(すじみち)であると栞には書いてあり、言い換えると順序が大切であると教わりました。例えば会社なら、報告・相談・提案の相手は、直接の上司または配下などで、飛越しはしない。しかし、それに拘ると、上手くいかないことがあり心がついていきません。特に心が折れている時は、形から入った方が良いと考えます。両者のバランスを取って常に明るく前向きにできるようにしたい。私は、自分の枠に入り込み、沈み込むことがありましたが、今は、その時その場で柔軟に対応して行くことで、解決して行くことができるようになりました。現在、4人の子供がいますが、父親として相応しい行動をとらなければと思っています。純粋倫理の面からも自然の法則に従うべきですし、私たちは、自然の法則に従った生活・順序が大切だと思っています。」


この後、集合写真を撮り、オリーブの木で朝食を頂きながら、本日の感想を述べ合い、有意義なときを過ごすことができました。
 


 
平松 健男 記)

2015年9月8日火曜日


~本を忘れず、末を乱さず~鳥越

梅雨時ではないかと思うほど鬱陶しい天気が続きます。地球全体には、荒々しい異常気象が頻発しています。異常寒波と異常猛暑、大型台風や竜巻の襲来、異常豪雨など、世界的に、未経験の異常気象が多発しています。その原因は、地球温暖化で、温室効果ガス・二酸化炭素濃度の上昇とされていますが、あくまでも仮設に過ぎず、科学的な解明が期待されます。

5時半には、数名の役員が集まり、机や椅子の準備、配布資料の閉じ込みなど、黙々とMSの準備をします。新年度から役員朝礼などの手順などが一部改定されたので、役員朝礼開始前に、改訂部分を練習しました。

6時半に、MS開始。先ず、松谷会長のスピーチです。

「暑さも峠を越え、私たちは、自然の営みに従った生活をしたいと思います。明日から明後日にかけて、台風が来襲しそうですので、皆さんそれぞれに備えをして欲しいと思います。先日、私の会社(ガソリンスタンド)のお客さんの車を修理しました。簡単な修理でしたので、修理代を頂かなかったのですが、商売の面からは、ルール通りの適正な修理代を請求するべきだったと反省しています。」
このようなときのルール違反は、お客様にとっても、社員にとっても、また本人にとってもいけないことと感じました。

次は齋藤幹事の3分間スピーチです。

「昨年、鳥越先生の講話をお聴きし、ご指導を受け、決心して断絶状態の父に久し振りに電話をしました。それ以来良好な関係を取り戻しました。先生には、心からお礼を申し上げたいと思います。」
いよいよ、鳥越 氏の講話です。

【鳥越氏のプロフィール】
昭和25年、鹿児島市で生まれ
昭和60年倫理研究所に入所
現在:(一社) 倫理研究所 法人局教育業務部 特別研究員

「新年度になって鎌倫でも会長が交代しました。新会長は、色々な役を引き受けることになるでしょうが、そのような環境でこそ、人は成長すると思います。また、報酬として貰うべきものは貰い(貰わなければ、むしろ相手を不幸にします)、また一度決めた時間は、それをきちっと守るべきです。

倫理とは、単なる勉強ではなく、頭で考えることでもありません。実践こそ必要です。学んだ倫理を他人に押し付けではいけません。自己革新するべきで、他人を変えようとすることは、自分の考えを押し付けるだけになります。

私は若いときに、妻に対して、頭ごなしな言い方をしていました。そうすると、妻は亀のように縮こまってしまいます。あるとき、妻に小言を言っていると、娘が『お父さんは間違っている!』と叫んだことがあり、妻に対して自分の考えを一方的に押し付けていたことと、自覚しました。また、あるとき、妹の結婚式があり、出席準備のため式服を着ようとしていたときのことです。妻の服が皺だらけだったことに気づき、文句を言ったところ、妻から猛反撃に遭いました。結果的に、妻は結婚式に出席しなかったのです。妻は子育てなどに追われて、皺伸ばしの時間的余裕がなかったのでしょう。このことをいつまでも記憶している妻ですが、妻の立場に立つことができなかった自分を猛反省することとなりました。以上のように私は沢山の失敗をしてきましたが、『自分が変われば、相手が変わる』ということが理解できるようになりました。

娘が小1のとき、私は倫理研究所に入所したのですが、入所すると、鹿児島弁のアクセントを講師の方からしつこく指摘されました。皆さんはたいしたことではないと思うかもしれませんが、当時の私にとっては、その都度暗い気持ちになったものです。丁度その頃、娘の通知簿の性格欄に、『みんなの前で話すことが苦手』と言う意味のことが書いてありました。その後、私が鹿児島弁のアクセントの指摘を気にしなくなりましたが、その頃、娘の通知簿には、『みんなの前で本を上手に読めるようになった』とのコメントに変化しました。『子供は親の心を実演する名優である』ことが分かりました。そのときの講師は、私が、困った人の気持ちを理解できるように、私をドン底に落とし、そこから這い上がってくるのを待ってくれていたことを感謝しています。また、娘も私も『本を忘れず』の格言のように、自分の性格を根本から変えることができたから立ち直れたのだと思います。」

「『本を忘れず』親があって子があるという当たり前のことが重要です。先祖を敬うことが大切です。父母の足を洗うといった簡単なことが、一般には必ずしも実践されていないと思います。一度、ご自分の父母の足を洗って差し上げてみてください。新たな感動が蘇るでしょう。」

倫理は実践であることは何度も教えられたことですが、実際にその境地に入っている人は少ないと思います。簡単なことからでもいいので、実行していきたいと思いました。

 この後、集合写真を撮り、オリーブの木で朝食を頂き、本日の感想を述べ合い、和やかで有意義なときを過ごすことができました。

平松 健男 記)

2015年9月1日火曜日


~今は亡き両親に宛てた、千日間の手紙~近藤 昌平

秋雨前線が日本列島に沿って停滞しているため、日本列島は軒並み10月の気温です。太陽光の不足で、野菜の生育が遅れ、高値となり、家計を圧迫しています。双子の台風の狭間にできた秋雨前線が、北からの寒気を呼び込み、梅雨のようなじめじめした気候になっています。4時に起床すると、空は暗く、まだ真夜中のようです。

6時には、役員朝礼が始まります。集会場所の由比ヶ浜公会堂までは、鎌倉駅から歩いて10分程ですが、到着して足が止まると、汗が噴き出てきます。温度は低くても湿度が高く、蒸発熱が少ないためです。新年度を迎え、新会長・松谷氏のもと、きびきびとした掛け声が外まで響きます。

6時半からは、MS開始です。先ず、松谷会長のスピーチです。


 「私にとって、人々を幸福にすることが最重要のことと考えており、そのための努力を惜しみなくしたいと思っています。会社では、9月に入ると防災訓練があります。訓練していないと、災害が発生したときに慌てて、消防や警察への連絡もできないことになります。」会長としての力強い第一声でした。

次は石渡相談役の会員スピーチです。


 「今年度は、新たにモーニングセミナ委員長として、松谷会長を助けるという立場で働くことになりました。私たちの集会を訪れる方々には、最大限のお出迎えで対応したいと思います。本日の近藤氏は、ご縁を大切にする方です。私たちも、お互いのご縁を大切にしたいと思います。」

いよいよ、近藤 昌平 氏の講話です。
近藤 昌平 氏のプロフィール】
東京都新宿区倫理法人会 会員
(株) 銀座・トマト 会長
(株) ヴァイタル・ローズ 会長
 

「私は6人兄弟の家庭で育ちました。私以外は全て女性です。私の父は54歳の若さで亡くなりました。その後、母も亡くなっています。家業は老舗の和菓子店「饅頭や」でした。父は、勉強と麻雀が趣味でした。私は進学校の一宮高校に入りましたが、父と同じような人生を送ることは潔しとせず、一流のカメラマンを目指してニューヨークに行って修業しようとしました。そのため朝5時に起き、夜12時就寝と頑張りました。一方で、このような環境から逃げ出したいとの思いで、店のお金を持ち出し、岐阜柳ケ瀬に行っては夜遊びに耽りました。このことを母は知っていたと思いますが、一言もありませんでした。母は寛大でした。父の死後、老舗の『饅頭や』を引き継ぎましたが、我が家の伝統であった和菓子を止めて、洋菓子の店に変えました。最初は上手く行かず、破産するかと思いましたが、製品の改良と、自分でも行商に出掛け、販売に取り組みました。友人知人の援助もあり、販売数はネズミ算的に増大し、運よく、大繁盛の店になりました。その間、宮様家からの注文などもあり、週刊誌に大々的に書いて貰ったお蔭で、洋菓子が大きな利益を産むことになりました。
家内の実家が小名浜の名家でもありますが、3.11大地震で、壊滅的な被害を受けました。しかし、小名浜や気仙沼で水揚げされるフカひれから取れるコンドロイチン・ヒアルロン酸の栄養補助食品が大当たりし、業績がどんどん上向いています。」

「母は謙虚でした。いいお手本だと思っています。両親没後、千日間、両親に向けた手紙を仏前に供えました。父が守ってきた『饅頭や』の和菓子の生産を中止するという提案を、母は黙って受け入れてくれました。そのときに饅頭製造用専用機を捨て、包装紙を焼いたときの思い出は忘れられません。」
近藤氏は、波乱万丈の人生を送って来られましたが、多くのありがたい友人・知人とのご縁があったこと、難課題をアイデアと持ち前の努力とで、次々と解決できたこと、亡き御両親から頂いた全てがいい方向に作用したこと、その上で運も幸いしたのだと思いました。また、今後も同じく栄養補助食品であるプラセンター入りケーキやバラにも注目されているとのこと、いち早く時代が要求する製品を開発されるなど、製品開発の極意を身に着けておられると感じました。

この後、集合写真を撮り、オリーブの木で朝食を頂き、恒例の人力車で鎌倉駅往復をされ、散会となりました。
平松 健男 記)