~今は亡き両親に宛てた、千日間の手紙~近藤 昌平 氏
秋雨前線が日本列島に沿って停滞しているため、日本列島は軒並み10月の気温です。太陽光の不足で、野菜の生育が遅れ、高値となり、家計を圧迫しています。双子の台風の狭間にできた秋雨前線が、北からの寒気を呼び込み、梅雨のようなじめじめした気候になっています。4時に起床すると、空は暗く、まだ真夜中のようです。
6時には、役員朝礼が始まります。集会場所の由比ヶ浜公会堂までは、鎌倉駅から歩いて10分程ですが、到着して足が止まると、汗が噴き出てきます。温度は低くても湿度が高く、蒸発熱が少ないためです。新年度を迎え、新会長・松谷氏のもと、きびきびとした掛け声が外まで響きます。
6時半からは、MS開始です。先ず、松谷会長のスピーチです。
次は石渡相談役の会員スピーチです。
いよいよ、近藤 昌平 氏の講話です。
【近藤 昌平 氏のプロフィール】
東京都新宿区倫理法人会 会員
(株) 銀座・トマト 会長
(株) ヴァイタル・ローズ 会長「私は6人兄弟の家庭で育ちました。私以外は全て女性です。私の父は54歳の若さで亡くなりました。その後、母も亡くなっています。家業は老舗の和菓子店「饅頭や」でした。父は、勉強と麻雀が趣味でした。私は進学校の一宮高校に入りましたが、父と同じような人生を送ることは潔しとせず、一流のカメラマンを目指してニューヨークに行って修業しようとしました。そのため朝5時に起き、夜12時就寝と頑張りました。一方で、このような環境から逃げ出したいとの思いで、店のお金を持ち出し、岐阜柳ケ瀬に行っては夜遊びに耽りました。このことを母は知っていたと思いますが、一言もありませんでした。母は寛大でした。父の死後、老舗の『饅頭や』を引き継ぎましたが、我が家の伝統であった和菓子を止めて、洋菓子の店に変えました。最初は上手く行かず、破産するかと思いましたが、製品の改良と、自分でも行商に出掛け、販売に取り組みました。友人知人の援助もあり、販売数はネズミ算的に増大し、運よく、大繁盛の店になりました。その間、宮様家からの注文などもあり、週刊誌に大々的に書いて貰ったお蔭で、洋菓子が大きな利益を産むことになりました。
家内の実家が小名浜の名家でもありますが、3.11大地震で、壊滅的な被害を受けました。しかし、小名浜や気仙沼で水揚げされるフカひれから取れるコンドロイチン・ヒアルロン酸の栄養補助食品が大当たりし、業績がどんどん上向いています。」
「母は謙虚でした。いいお手本だと思っています。両親没後、千日間、両親に向けた手紙を仏前に供えました。父が守ってきた『饅頭や』の和菓子の生産を中止するという提案を、母は黙って受け入れてくれました。そのときに饅頭製造用専用機を捨て、包装紙を焼いたときの思い出は忘れられません。」
近藤氏は、波乱万丈の人生を送って来られましたが、多くのありがたい友人・知人とのご縁があったこと、難課題をアイデアと持ち前の努力とで、次々と解決できたこと、亡き御両親から頂いた全てがいい方向に作用したこと、その上で運も幸いしたのだと思いました。また、今後も同じく栄養補助食品であるプラセンター入りケーキやバラにも注目されているとのこと、いち早く時代が要求する製品を開発されるなど、製品開発の極意を身に着けておられると感じました。
近藤氏は、波乱万丈の人生を送って来られましたが、多くのありがたい友人・知人とのご縁があったこと、難課題をアイデアと持ち前の努力とで、次々と解決できたこと、亡き御両親から頂いた全てがいい方向に作用したこと、その上で運も幸いしたのだと思いました。また、今後も同じく栄養補助食品であるプラセンター入りケーキやバラにも注目されているとのこと、いち早く時代が要求する製品を開発されるなど、製品開発の極意を身に着けておられると感じました。
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