2014年11月25日火曜日

ハーフタイムスピーチ【松本美和子会員】【皆川美保子副会長】


本日はハーフタイムスピーチとして、当会の松本美和子会員と皆川美保子副会長を講師に迎えました。


今にも雨が降り出しそうな寒空ですが、由比ヶ浜公会堂には明るい雰囲気でいっぱいです。
本日の講師、松本美和子会員は家庭倫理の会員でもあるため、家庭倫理の会員の方々もお見えになりました。また、川内美喜男神奈川県倫理法人会会長のほか、新宿区倫理法人会や茅ヶ崎市倫理法人会など、他会からも多くのご出席をいただきました。


【石渡好行会長 挨拶】

倫理では夫婦や親を大事にするようにと教えられます。以前に比べて、私は妻を大事にするようになり、誕生日には花束を贈るようにしています。すると不思議とうまくいくようになるんです。この話をある人にしたところ、その方は両親とうまくいっていないということで、両親に対して花束を贈るようにしたそうです。すると家族の関係が非常に良くなり始めた。ほんとうに実践してみると、ちゃんと良い結果が出てくるんですね。
本日の講話は、鎌倉倫理法人会を育ててくれた二人にお願いしました。皆川さんは鎌倫の母と呼ばれています。鎌倉にこれだけたくさんの女性会員がいてトラブルが一つも無いのは、皆川さんが束ねてくれているからです。また、松本さんは会員数が減ってもはやつぶれるかという時から、ずっと鎌倉に席を起き続けてくれました。この二人のご恩に答えるためにも、倫理によって救われる人をどんどん増やしていきたいと思います。


続いて小堺絹代会員によるスピーチです。



【小堺絹代会員 スピーチ】

私は免疫異常という病気を持っています。栞には「病気は生活の赤信号」とありますが、私の場合、何が良くないのか倫理指導を受けた際に質問してみました。すると指導してくださった先生が、「自分の中に自分を責める命を持っている」とおっしゃったのです。これは大変納得しました。確かに私は気づくと自分のことを責めていたのです。
私は来年56歳になります。祖母が56歳で他界したため、もしかしたら私も、などとふと思うことがあったのですが、そのように気にしてしまうとそちらのほうにいってしまうと思い、意識して考えないようにしました。
倫理指導を受けると、気になっていることなどがスッキリします。これからも指導されたことを実践します。



◆ハーフタイムスピーチ① 松本美和子会員

【松本美和子会員 講話の内容】

私はピアノ教師をしてきたのですが、非常に晩婚で、40歳で2度離婚経験のある主人と出会い結婚しました。
主人には連れ子が3人いて、私は結婚と同時に妻であり母にもなったのです。
私は母の躾け方もあって、どちらかというと消極的な性格です。ところが主人も子どもも積極的な性格で、私からしてみると振り回されてしまい、合わせるのが大変でした。
また、主人の生い立ちについてもそれほど深く訊いたことが無かったのですが、実は祖父が福島県下一の納税者であることがわかりました。主人は父親を早くに亡くしているので、この祖父にかわいがられて育ちました。ところが、苦労して積み上げてきた財産も、後継者がいないということで、すべて手放さざるを得ないという結果になりました。
そのほか、いろいろなことを知るにつけ、主人はなんと大変な人生を歩んできたのだろうかと思うに至りました。そして、どんな理不尽なことを言われても合わせていこうと決心したのです。
すると、驚いたことに、決心した瞬間、理不尽なことを一切言わなくなったのです。
本当に不思議ですが、これも倫理を学び、指導を受けたおかげです。
13条に「本を忘れず、末を乱さず」とあります。私は、母や夫のありがたさに気づくのが遅かったと思っています。主人は七年前に他界しましたが、今でも「家を守っていってくれ」という主人の言葉通りにやっていくことができているのは、主人のおかげだと思っています。






◆ハーフタイムスピーチ② 皆川美保子副会長


【皆川美保子副会長 講話の内容】


今日は、私が出会った、ある人の話をしたいと思います。
栞の十七箇条を読むほどに、その人のことが理解できる、よくわかってくる、という感覚を抱く今日この頃です。
私の娘は3歳から水泳や体操教室に通っていました。娘のレッスン中はママ友達と施設内の喫茶店でしゃべって待っていたのですが、その人は、喫茶店のママさんでした。
頭はちりちりのパーマで、くわえたばこで大笑いするような、典型的な「おばちゃん」といった風体の人です。私たち母親が子どものことで愚痴をこぼしていると、にやにや笑って「いいねえ、そんな頃がいちばんいいんだよねえ」などと言うのでした。
おばちゃんにはご主人と息子さんがいるのですが、どちらも非常に出来た人なんです。なんでこんなに立派な人がご主人であり、息子なのか不思議だったのですが、あるとき、その理由がわかりました。
娘の教室が最後の日、喫茶店に行くと、おばちゃんがふと「アタシ、女の子を育てたことがあるんだよねえ」と言うのです。

それは、ご主人の弟の娘、おばちゃんにとっての姪でした。
弟は仕事が続かずトラブル続きで、弟の妻になった女性もかなり問題があるような人でした。弟夫婦には娘が一人いたものの、まともに育てられていない状況です。見かねたおばちゃんは、引き取って育てました。
お弁当も手作り、着せる洋服もすべて手作り。とにかく、女の子のために何が出来るかを考え、それを実行してきたのです。
女の子は無事に育って高校を卒業、就職もして、結婚することになりました。
結婚の報告は、いの一番におばちゃんにして、その際「おばちゃんが私の本当のお母さんだった」と、女の子は言ったそうです。
おばちゃんのしたことは、まさに無償の奉仕であり、無償の愛でした。その姿を見ていたから、あんなにいいご主人、あんなに出来た息子さんだったのだと合点がいったのです。
誰かに何かをする際、「してあげる」という感覚では、してあげている「のに」という不満が生じます。
そうではなくて、「私に何か出来ることはないかな」というスタンスが大切なのだと思います。



◆プラスα 川内美喜男会長ご挨拶


講話の時間が5分余りましたので、川内会長にも一言ご挨拶をいただきました。

「話すことによって勉強になるといいますが、倫理は聴くのも勉強です。講話者の話を熱心に聴く、これはとてもエネルギーを必要とします。鎌倉は、聴く雰囲気づくりを非常に熱心に、上手につくっていると感じます。こういう雰囲気の中だと、講話者も話しやすくなります。この温かい雰囲気を、これからも大切にしていってください」







朝食会場へ向かおうと外に出ると、いちだんと冷え込んでいました。「オリーブの木」では、早くも数人の女性会員が朝食の配膳にとりかかっています。





【本日のメニュー】

とうふの具だくさんトッピング/クロワッサン/カスピ海ヨーグルト/コーヒー


いつもおなかにやさしい朝ご飯。おとうふの上にこんもりと盛られているのは野菜とニシンの酢漬け。ソースがほどよいアクセントと彩りを添えます。温かなコーヒーをおかわりしながらいただきました。




(石川真理子 記)




2014年11月18日火曜日


20141118日火曜日

本日のMSのテーマと講師は以下の通りです。

「子は親の心を実演する名優である」      
朝霞市倫理法人会会長, ()ボン取締役部長 橋本 優子 氏

1日の最高気温と最低気温の差を日較差と言います。これが10℃を超えると、体調に影響すると言われます。日本では、梅雨時には、水蒸気(同じ湿度でも、気温が高いほど大気中の水蒸気量は大)の温室効果と、雲の太陽光遮蔽効果とにより、日較差が小さく、冬になるにしたがって、日較差が大きくなります。晩秋には、北極付近の寒気と、南洋の暖気とが日本付近で混ざり合うので、気温変化が激しくなります。従って、晩秋から冬にかけては、体調を崩し易くなるので注意が必要です。早朝5時半に由比ヶ浜公会堂に到着する頃まで、空は真っ暗で、寒さが身に沁みます。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【石渡会長挨拶】「鎌倫では、上からの指示ではなく、各自が率先してMS等の準備をしてくれていることを感謝します。
 
また、今年度は輪読の質向上のため、努力を続けています。最近では、句読点でのテンポなども工夫し、美しいハーモニーを醸すことができるようになってきました。本日は当会と友好関係を結んでいる朝霞市倫理法人会会長をお迎えしました。」
その後、新たに会員になられた新井明子さんを歓迎して、記念品が贈呈されました。


 続いて長谷真子研修委員長の3分間スピーチです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「私には、21歳と26歳の二人の息子がいます。長男は警察学校を1か月でリタイアし、現在はビル設備管理の会社で楽しそうに仕事しています。
次男は不祥事を起し、その時に反省文を書いたのが功を奏して、就職試験では作文力を評価され合格。偶然、その社長さんは倫理法人会の会員でした。お陰様で、今では与えられた仕事をきっちりやる大人に育っています。今思うと、子供の悪い時は私の心も荒れ、子供との会話も無かったように思います。
 

 いよいよ鎌倫と友好単会の関係を結んだ朝霞市倫理法人会会長の橋本 氏の講話です。
【橋本 優子 氏 の講話】


19713人兄弟の長女として生まれました。先天性肛門閉鎖症のため、1歳まで人工肛門で過ごし、1歳のとき手術し、完治しました。父母は理容室を経営。小さい頃からピアノ、水泳、学習塾、書道などをやらされ、両親の期待に応えなければいけないとの思いが強かったと思います。しかし、中学の頃になって、自分のしたいことと、親の期待とがぶつかり合い、親を疎むことになりました。ピアノを続けたい、ブラスバンド部に入りたいとの願いがことごとく拒絶され、高校には入学したものの、中退し、家出の費用を捻出するため、水商売にも手を染めるようになりました。19歳で結婚し、二男・二女を儲ける一方、夫は日本料理屋を開業したのですが、うまくいかず離婚。私の方は、11年前に父の経営する理容院を手伝い、父の仕事のやり方を一から学びました。愛情の欠如のためか、末の男の子が非行に走り、何度か警察のお世話にもなりました。次男の更生のために倫理法人会に入り、ひたすら栞を読みました。愛情がすれ違っていたことが分かり、甘やかすのではなく、会話を増やすよう努力しました。その結果、次男も、心を開いたようでした。倫理法人会に入ることにより、自分の道が開けるのではないかと思いました。私の誕生日は83日です。その日は母親に恩返しする日になりました。父は、仕事への取組みを通じて尊敬できる人、偉大な人であることを悟りました。子供たちが、母親(私)のように頑張ろうと思って欲しいと思います。倫理法人会に入り、多くの方々と知り合えました。このご縁を大切にしたいと思います。感謝!」
 

「オリーブの木」では、橋本氏を囲んで美味しい朝食でした。橋本氏の周りは、大輪の花が咲いているようでした。いつものように、一人1分程度で感想を述べあい散会です。   (平松健男 記)

2014年11月11日火曜日

マニュアルを超える!

本日の講師は、(一社)倫理研究所 法人レクチャラー 大竹美保子氏です。







【大竹美保子さんのプロフィール】

(一社)倫理研究所 法人レクチャラー
    愛知県女性委員会委員長
(有)クリエイト・ハーモニー代表取締役



あいにくの曇り空、冬を予感さえるような寒い朝となりました。
昨夜の倫理経営講演会に加え、大竹美保子さんの講話を聞きたいと、たくさんの人達が由比ヶ浜公会堂に集まりました。
まずは石渡会長の挨拶です。



【石渡好行会長 挨拶】

「鎌倉の輪読がどんどん良くなってきています。誰かと一緒に読もうとすることによって、寄り添う気持ちが生まれます。全員が輪読を合わせることができた時、みんなの心がひとつになるのだと思います。『ありがとう』と言うことをはじめて今では800万回以上になりましたが、頑固だった心が素直になってきているのを実感します。すると、このごろは怖いくらいいいことしか起きないのです。素直になって良いことは実践すること、それがどれほど大きな喜びをもたらすのかよくわかりました。みなさんも、倫理は実践ですから、人から聞いたいいことは、どんどん行動に移しましょう」

9月から鎌倉では、お誕生月の会員に花束をプレゼントすることにいたしました。
今月は高田桃子会員のお誕生日です。


続いて根岸猛会員によるスピーチです。



【根岸猛会員 スピーチ】

 高校時代から目立たない存在で、大勢集まっているような時でも、少し離れたところで自分にできることを細々やっているというタイプでした。そんな自分を克服するために、最近は相対する人を自分の家族や友人など大切な人であるというように受け止めるようにしました。すると、好きな人がどんどん増えるのです。その『人間として好きです』という気持ちも、言葉にして伝えるようになりました。このようなことを実践できるようになったのも、会長の「人を育てる」という思いゆえだと思います。あらためて、意識して行うことの重要さを実感しています。



さて、大竹美保子さんのお話です。



「マニュアルとは何でしょうか。社会には、さまざまなマニュアルが存在しますが、私は、まず自分自身をマニュアルだととらえています。人は誰でも思い込みやこだわりを気づかないうちに持っています。そのようにマニュアル化してしまった自分をどう超えていくか。昨日より今日、今日より明日というように、良くなっていく、自分を超えていくことが、私の日々の目標なんです」


大らかな雰囲気で話し始めた大竹さん。昨日に続いて、たちまち人々の心を掴んでしまいました。 以下、大竹美保子さんの講話内容です。


子どものころから、祖父にかわいがられて育ちました。父親が養子であるということもあり、両親はさまざまな苦労をしましたし、父が病気になってしまい、周囲の人から私には父がいないと思われていたほどですが、それでも私自身は恵まれた子ども時代を過ごしましたし、何をするにもあまり考えず、なんとなく自分の都合のいいように、うまくやってしまうようなところがありました。
そんな私が初めてがんばることを知ったのは、専門学校に通っていたときです。子どもの頃からピアノを習っていたので、なんとなく先生になろうかと思いついて専門学校に通っていたのですが、その時初めて自分がどれほどピアノが好きかがわかったのです。
母に「先生になりたい」と話したところ、「だったら学校を辞めて、先生について必死でやりなさい」といわれました。母は、私がたいした考えもなく専門学校を選んだことを見抜いていたのです。
私は母の言うとおり学校を辞めて先生につき、必死でがんばりました。
晴れてピアノの先生になれたのですが、多くの人が音大を出ている中、私は専門学校中退という肩書きです。生徒のお母さんから、「どこの音大を出たのですか」と問われたのをきっかけに、私は音大を出ていようがいまいが「大竹先生に習いたい」と言ってもらえるほどの人間ならなければならないのだなということに気づきました。

その後、結婚をしたものの離婚。
実家で暮らしている時に、ある男性と知り合いました。政治家の秘書というわりには、見た目も性格的にも頼りない感じで、なんとかしてあげなくちゃ、という感じでした。
その人と半月ほど一緒に暮らしたのですが、あるとき、巨額のクレジットカードの請求書が届いたのです。
調べてもらったところ、その男性は結婚詐欺で、しかも前科もありました。

バツイチで、しかも大借金を抱えてしまった私は、どうしようもなくなって母に打ち明けました。
すると、親というのはありがたいもので、母は田畑を売るなどしてお金を作って助けてくれたのです。私も意を決して水商売を2年7ヶ月やりました。事情を話すと、「水商売に染まるなよ」と、お客様が守ってくださったような状況でした。

でも、この結婚詐欺に遭ったことによって、私は自分を本気で変えていこうという覚悟ができたのです。「目標を設定して、それに向かって本気でやれば、100%達成できる」と書いてある本と出会い、それから私の挑戦が始まりました。

目標を持つことでわかったことは、目標というのはいうなればアンテナだと言うことです。
目標という名のアンテナがたっているから、必要な情報や物事がどんどん入ってくるようになります。
そして気づいたのは、チャンスの神様は「たまたま」のなかにいる、とうことでした。ノーベル賞を受賞した人など、成功者と呼ばれる方々は、まちがいなく「たまたま」という言葉を口にします。
たまたまだと思うと、多くの人が流してしまいますが、実は、「たまたま」だからこそ大切にしなければならないのです。

たまたまという偶然が折り重なって、必然になる。自分に起きることのすべてが必然だと思います。
でも、どんな必然を望むのかということが問題です。
思いは必ず現実になります。だから、マイナスのイメージは全力で払拭すること、マイナスの言葉は絶対に言わないことです。
こうしたことの積み重ねで、思いを現実にする、そして、自分というマニュアルを乗り越えていきたいと思います。







朝食会場へ向かおうと外に出ると、いちだんと冷え込んでいました。「オリーブの木」では、早くも数人の女性会員が朝食の配膳にとりかかっています。

【本日のメニュー】

とうふの具だくさんトッピング・トマトソース/クロワッサン/カスピ海ヨーグルト/コーヒー


いつもおなかにやさしい朝ご飯。おとうふの上にこんもりと盛られているのは野菜とキクラゲ、ボイルドチキンです。トマトソースがほどよいアクセントと彩りを添えます。温かなコーヒーをおかわりしながらいただきました。


鎌倫恒例、人力車でのお見送り。
この後、大竹美保子さんと有志で、鎌倉散策へ出かけました。



                                                (石川真理子 記)



 

 


2014年11月4日火曜日


2014114日火曜日

本日のMSのテーマと講師は以下の通りです。

「陶芸あれこれ」             其中窯 陶芸家 河村 喜史 氏

寒冷前線と大陸からの季節風とによって、気温が目まぐるしく変化しています。おまけに超大型台風が近づいています。台風が日本海を横切れば、海底の冷たい海水が浮上し、日本海の表面は一挙に数℃低下し、その影響で季節風の温度も低下、結果的に日本列島が寒冷化します。由比ヶ浜公会堂への道は、益々薄暗くなりましたが、公会堂の中は寒さに負けない、温かい雰囲気が漂います。
6時からの役員朝礼に続き、6時半からMS開始です。
【石渡会長挨拶】「研修委員からの提案もあり、会員のモチベーション・実力アップを目的として、3分間スピーチ、ハーフタイムスピーチ、フルタイムスピーチ、他会でのスピーチなどを充実させたいと思います。」
 
「その際、スピーチ内容には、倫理活動や経験が具体的に入っていることが望ましいですね。私自身は、10月の目標(水泳千m/日)を既に実行し、目標を達成しました。今月は、それに加えて『風邪を引かないよう、うがいや手洗い』を決心しています。」

次は、中山会員の3分間スピーチです。
 
  

「今日の栞朗読箇所は、十条(働きは最上の喜び)です。75ページに、『人の喜びをわが喜びとする』いう一節があります。私は不動産業に就いて27年になります。商談中に色々と紆余曲折があっても、結果的に商談がまとまり、お客さんが笑顔になると、とても幸せな気持ちになります。ただ、27年間も同じような仕事をしていると、時に傲慢になり、お客さまを蔑んだりすることもあります。そのようなときに、最近は『その傲慢な天狗の鼻を折らないといけない。』と反省しています。」

 いよいよ河村 氏の講話です。

【河村 喜史(きふみ) 氏 の講話】

プロフィール:曽祖父の時代以前からの陶芸家。喜史 氏は愛知県生まれで、京都で育つ。京都粟田口で制作した粟田焼を御所に納入。祖父・河村喜太郎(18991966)が「陶芸家」という言葉を作る(それまでは、陶工と呼ぶ)。
 
祖父は、複数の陶工が分業して製品を作る京都の風習に馴染めず、京都を離れ豊田市猿投(さなげ)に陶房を開設、矢作川の近くに登り窯を新設。焼き物の素材(粘土)は、今でもその土地から得ている。父・又次郎(19302006)は、清水五条坂に陶房を開設して独立。一方、鎌倉の魯山人陶房跡を祖父喜太郎が再興。この陶房を「其中窯(きちゅうよう)」と命名。父の死去に伴い、2006年に喜史氏が其中窯を引き継ぎ、猿投から鎌倉に転居、現在に至る。日大芸術学部で、主として彫刻を学ぶ。各地の高島屋、その他で個展を開く。

「父は、焼き物の製造方法など、何も教えてはくれませんでした。そのことは、私の陶芸家としての成長を阻害してきたと考えていましたが、今になると、そのことで、苦しみを乗り越える力を私自身が養うことができ、独自の芸風を確立する力が与えられたのではないかと思い、感謝しています。粘土素材はものを言いませんが、焼き方を工夫していけば、こちらの意図が伝わって、素晴らしい芸術作品が実現することも分かりました。また、芸術作品は、それを使用する目的、使っていただける方のことを思い浮かべながら作成すれば、結果的に美しい作品が生まれことも分かりました。例えば、作成したお皿に、焼き魚が盛られてる姿を思い浮かべながら、その使われている姿を美しくするお皿の形状や配色などを考えることが重要だと思っています。つまり、新人には、作り方を直接教えるのではなく、色々と自分でトライしながら、自ら工夫することの方が大切であることを教えていきたいと思います。」と結ばれました。

無味乾燥な粘土であっても、愛をこめて人が息を吹きかければ、機能美が盛り込まれた芸術品に生まれ変わることができることを教えられました。会社などの新人教育でも、会社が営々として築き上げてきたノウハウ集(基準書や標準マニュアル)を教えるより、難しい課題を与えて自ら解決する手法を編み出す訓練をした方が、創造力が養われ、優秀な人財が育つと言われています。
 
講師を引き受けて下さった河村 氏は、MS直後に用事が入り、残念ながら朝食をご一緒することはできませんでした。



「オリーブの木」では、本日のセミナーの余韻を楽しみながら、河村氏に感謝しながらの朝食でした。参加者が一人1分程度で感想を述べあいました。独創的な発想で、個性を伸ばし、独自の境地を切り開いて来られた河村 氏の真髄を垣間見ることができたような気がしました。(平松健男 記)