2016年11月1日
冷たい雨の朝を迎えました。上着にコートという厚着をして由比ヶ浜公会堂に向かいます。6時には机や椅子を並べ終わり、役員朝礼です。来週は朝礼の「モデル単会認定」のコンテストがあるので、「菊」の称号を獲得するために、細部に亘って練習です。役員朝礼を終え、6時半丁度にMSが始まります。
最初に、松谷会長の会長スピーチです。
「小林正観さんの『心を軽くする言葉』の本から、『ありがとうを言い続けていると、いいことがありますよ。』という一文を紹介してきました。これには、その続きがあって、『不平不満、悪口、愚痴等を口にすると、それまでのいいことが帳消しになる。しかし、10秒以内に、今のは間違いです』と取り消せば大丈夫だそうです。
やってしまった間違いに気づかないことのほうが問題だということです。気づいてステップアップしていくことが大事です。」
「私は、現在腰が痛いのですが、『腰が痛い』を口にせず、姿勢が良い人はどのような姿勢をしているかを考え、それを実行しています。皆さんも自分でいいと思ったことは、実行してみてください」
その後、前日にお誕生日を迎えた白木 大五郎副会長に、花束がプレゼントされました。
「新婚11か月目です。人生には幸・不幸がつきまといますが、できるだけいい方向に捉えるようにしているので、幸せな気分でいます。雨がっぱを着用したとき、重くて嫌だと思うのか、雨に濡れず、温かくなって良かったと思うのかで気分は大きく違います。積極的に良い方向に考えて暮らしたいと思っています。」
【蔵多 のり子 氏のプロフィール】
鎌倉市倫理法人会 幹事マノマッジオ 代表
「私は鳥取の米子市(田舎町)で、国鉄マン(駅長)の父(52歳で癌で死亡)、母(90歳)、兄(私より9歳上)、姉(私より8歳上、31年前に癌で死亡)の5人家族の中で、高校まで育ちました。
父が転勤族でしたので、1~2年毎に転校しました。父が亡くなったとき、母は40歳前半で、3人の子供を抱えることになり、苦労しました。
父が亡くなって、母は小さな家を建てて家族で住むことになりました。しばらくして兄、姉が東京に出、私も高卒後に大阪の看護学校(4年間)に行くことになり、寮生活を送りました。やがて、東京の兄が郷里の家をたたみ、お墓も東京に移転しました。
母は東京で兄と同居することになり、狭い部屋に入るだけの家財道具に絞り、新たな生活をすることになりました。田舎育ちで外には出たがらない母だと思っていましたが、案外都会に溶け込み、外出もし、親しい友人もできたようでした。現在は、施設(老人ホーム)に入っています。」
「今思うと、母には大変な苦労を掛けながら、そのことに感謝もせずに過ごしてきたことを大変後悔しています。今後、年老いた母とはできるだけ一緒にいる時間を増やしたいと思います。母は、食事の食べ方など厳しい面もありましたが、おやつは自家製、家の中には一輪の花が飾られることも多く、平穏な毎日でした。」
「子供が親を想う心は、親が子供を想う心には到底かなわないし、『子を持って知る親の愛』という諺の持つ意味が分かってきたこの頃です。」
(高田
桃子、平松
健男
記)
0 件のコメント:
コメントを投稿