2015年10月27日火曜日


~県会長就任にあたって~関 伸司

地球が受ける太陽光エネルギの減少率が極大になるに伴い、北極側の寒気と、赤道側の暖気とがまともに混合する時期がやってきました。夏日と冬日とが共存し、熱中症を心配するかと思えば、翌日には雪が降るような荒っぽい天候です。このメカニズムは必ずしも明確になっておらず、単純に地球温暖化によると断じることもできないようです。

早朝の5時半過ぎには、三々五々役員が集合し、会場となる由比ヶ浜公会堂は活気を帯びてきます。役員朝礼のリハーサルを終え、6時からは役員朝礼です。
神奈川県倫理法人会でも会長が交代、本日のMSの講師であられる関 伸司 が県の新会長です。

 最初は松谷会長のスピーチです。


 「倫理法人会に入り、『ありがとう』の意味を強く感じています。末期のがん患者が、10万回ありがとうを言ったら癌が治ったという話も聴きました。私自身も、最近外出先で我慢できないほどの腰痛に見舞われたのですが、神様を称える『あがとう』を繰り返していると、不思議に快方に向かい、治ってしまいました。皆さんも神を称える『ありがとう』を沢山言おうではありませんか。

次は長谷 真子 3分間スピーチです。


「倫理に入り、最近笑顔が多くなってきたと感じています。その理由を考えると、倫理法人会に入って、最初は朝礼の意味がよく判らず、大きな声で、威嚇されているような感じに思え、封建的な家庭の雰囲気に似ていると感じたからでした。しかし、大声が悪いことばかりではないと思うようになりました。誰かに危険が迫ったとき、それをその人に知らせるために大声を出す時があります。個人を大切にし、笑顔を伴いながらの朝礼であって欲しいと思っています。倫理法人会が個々を大切にし、個々が輝く場所であってほしいと願っています。

いよいよ関 伸司 氏の講話です。
         県会長へのご就任お祝いと誕生お祝い
【関 伸司 プロフィール】
神奈川県逗子葉山倫理法人会相談役を経て今年度より、神奈川県会長に就任
株式会社 葉山クリエイト 代表取締役

 「私は倫理に入って3か月で逗子葉山の副会長を仰せつかりました。その際、人前で話もできない人間でした。『頑張れ』と言われたら辞めていたと思いますが、『テーブルを拭く会長(裏方の仕事という意味)』ということで、いきなり副会長を受けることになりました。」「元々、私は気が小さく、おどおどし、人前でどきどきしてしまう性格でした。しかし、それは、誰にでもあることかもしれません。今回、4/29に県の会長に推薦され、1週間で決めました。色々な人に『おめでとう』と言われましたが、この背後には色々な言葉が隠されていると感じました。『大変ね。』と言われているような気もします。この大変さをクリアするには、『創造』で対応しようと思います。大きく変化するチャンスと捉えています。現在、『新聞を売る]という商売をしていますが、大きく変わるチャンスでもあります。今期は17ヶ条を読み直し、『明朗、愛和、喜働』の意味を再確認して、進みたいと思っています。

今朝は、明るい雰囲気を出すために黄色いジャケットを探して着ました。いずれにしても、歓喜の溢れる集まりでなければ、組織の拡充はあり得ません。会員の喜びが、友人への誘いにもつながります。空理空論ではなく、実践によって、歓喜溢れる組織に少しでも近づけ、2千社を目指したいと思っています。」


この後、集合写真を撮り、オリーブの木で、1コインで美味で栄養たっぷりの朝食を頂きました。
 
いつもの通り、10名ほどのお客様を含み、MSについての感想を述べ合い、有意義なときを過ごすことができました。

 
平松 健男 記)

2015年10月20日火曜日


~主婦が起業~佐藤 和枝

日に日に朝が暗くなり、450分頃に家を出るときはまだ真っ暗。最近の世相から、男子の一人歩きも危険が伴う感じさえします。

6時からの役員朝礼に、8人ほどが参加、きびきびと充実した朝礼となりました。
最初に松谷会長のスピーチです。
「今日の講師は、足立区西倫理法人会相談役の佐藤さんです。名知さんが足立区西で講話させて頂いたときからご縁で、ミャンマーに関蓮し物心両面でとてもお世話になりました。佐藤さんとは、昨晩から鎌倉八幡宮周辺を歩きましたが、ゆっくり歩いていると、鎌倉自体が随分昔と変わったように思いました。ところで、ノーベル医学賞を受賞された大村さんは、微生物で偉大な特効薬を発見されたのですが、鎌倉にも微生物によって、原発汚染の除染に効果のある物質が発見されたとのこと。将来有望ではないでしょうか。その芽をつぶしたくないものです。

 次に、平松広報委員長の会員スピーチです。


「本日の栞の箇所は、『肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号』です。①心の健康は肉体の健康があって初めて維持できること、②病気になって初めて健康のありがたさが判ること、③健康に自信があれば、過信し、案外短命の人も多いこと。また、神様は、心身共に完璧な人を望まず、弱者を労わる心を与えるため、何らかの欠陥を付与されるもの。」

「私は、先天性の心臓病で常時死と向かい合う恐怖の中で日々を暮らしてきたが、弱さを跳ね返して、老後を含めて世の中に貢献してきたように思います。以上のように、病が自分の心をむしろ強くし、家族、父母、神様に感謝する毎日に変えてくれたような気がします。」

次にいよいよ佐藤 和枝 氏の講話です。
 
【佐藤 和枝 氏のプロフィール】
東京都足立区西倫理法人会 相談役
(株)協和パートナーズ 代表取締役会長

7人兄弟の貧乏な家庭に生まれ、小学校のときから新聞配達をし、家計を助けてきた。朝2時半起床という大変な重労働ではあったが、心身共に鍛えられ、その後の人生を前向きに生かされたような気がする。両親に感謝。

22年前にご自分でリフォーム業を起業された素晴らしい女性経営者です。

「私が20歳の時に結婚した主人は、真面目で、仕事一途の警察官でした。寝る暇を惜しみ、睡眠不足のまま働いたからだったのでしょう、約10年前に肺癌で亡くなりました。その後、私も乳癌を宣告されましたが、抗癌剤使用を勧める医師の意見に反して、全摘手術を選択した結果、その後の再発を逃れた良い結果となりました。体の細胞一つ一つを愛おしく思うと同時に、感謝の気持ちを込めた結果ではないかと思っています。」

「現在のハウスクリーニングの会社は、創業22年目になりますが、長男も手伝ってくれていて、順調です。トイレなども素手で掃除(細かな汚れもなくせる)するなど、心を込めた仕事の結果だと思います。」

「そして、千葉に第2の事業の起業を計画中です。2040年には、孤独死が首都圏で13千人/月になると言われています。新たな形態のグループホームを千葉の田舎に建て、基本的に、入居者がホームを維持するシステムとし、そこに保育園や幼稚園を併設し、老人と幼児が共同生活するシステムを考えています。政府からの助成金なども期待できると思いますし、将来性があると睨んでいます。」

老人にとって、孤独で話すこともなく、するべき仕事の無い生活環境こそが最も避けたい環境です。世代の異なる幼児との接触も若返らせてくれるでしょう。とても良い計画だと思いました。

 この後、集合写真を撮り、オリーブの木で、朝食を頂きました。
 
 
いつもの通り、MSについての感想を述べ合い、有意義なときを過ごすことができました。お帰りは恒例の人力車です。名知会員と同乗し、鎌倉の街をしばしの散策です。

平松 健男 記)

2015年10月14日水曜日


~笑顔の実践~小林 良子

しばらくぶりに、快晴の朝を迎えました。4時半に起床したとき、外は真っ暗。富士山頂は初冠雪とのこと。季節の移り変わりは確実にやってきています。


本日は笑顔一杯の東京都江戸川区倫理法人会 会長 小林 良子 氏をお迎えし、何故笑顔なのか、笑顔の効用や、その効果など、詳しくお聴きしたいと思います。

初めに、松谷 会長の3分間スピーチです。


「昨日開催された『日本創生フォーラム』に出席し、以下のような、成程と思う話を聴いてきました。」

「日本は、米国との戦争に負けて、民主主義国となったように言われているが、縄文時代や、聖徳太子の時代などに、既に実質的な民主主義的な政治が実行されていたこと。また、古事記には、神々が話し合い、民主主義的な方法で人々の生活の規則が決められていたことなどが記されており、日本人はもっと誇りを持っていいのでは」とのことでした。

また、「日本は借金大国であると言われているが、日本政府が日本人から借金しているだけであって、日本全体では借金している訳ではない。」との見解が示されました。

「来週は、鎌倫の第500回目のMSです。皆さんそれぞれがお知り合いを連れてきていただきたいと願っています。」

続いて、梅ヶ辻 弘子 氏の3分間スピーチです。


「鎌倫は、今日様(石渡氏)の努力で、雰囲気が改善され、特に女性会員が増えてきました。今日様は、1日に10人の見ず知らずの女性に『あなたはいい笑顔していますね』と呼びかけることを目標としているとのこと。宮崎のホテルに泊まったときには、ホテルの女性従業員に、同様に呼びかけたところ、その女性は、1年後再訪した際、そのことを憶えていて、向こうから感謝の言葉があったとのこと。私も宮崎に同行し、確認しました。石渡さんは、見ず知らずの人を笑顔にしてしまう『愛と友情を育む可能性を持つ人』だと思います。ちょっとほめ過ぎでしょうか?」

いよいよ小林 良子 氏の講話です。


【小林 良子 氏のプロフィール】

東京都江戸川区倫理法人会 会長
東京都レクチャラー
(株)モノダスサンコー 専務取締役
(株)スマイル・フォスター 代表取締役
2011 江戸川区倫理法人会入会
2012 幹事
2013 副専任幹事
2014 専任幹事
2015 会長

「今日ここでお話するのには、今日様とのご縁があります。今日様の新宿での講話を聴き、また、新倉元会長との関係もあり、今日の鎌倫での講話となり、感謝しています。今日は、私の笑顔の原点についてお話したいと思います。

私の家庭は複雑で、母は1人ですが、父に当たる人が3人います。最初の父に関しては、何も知りません。2番目の父には、可愛がってもらいましたが、広島の原爆で被爆し、白血病で大量吐血して亡くなりました。そして私が高2のとき、母が3番目の父と再婚したのですが、最初は父やその子供たち(男2人、女1人)とはしっくりしませんでしたし、笑顔もありませんでした。しかし、母が笑顔で接するようになってしばらくすると、皆が笑顔を見せるようになり、家庭は円満になっていきました。その頃、仕事の関係で毎年イスラエルに行くことが多かったのですが、彼らは、『日本は平和な国だと思っていたが、何故近親者や友人など身近な人を殺したりするのか?』と訊かれて、返す言葉がありませんでした。」

2011年に倫理法人会に入会し、万人幸福の栞の第13条『本を忘れず、末を乱さず』が目に入ってきました。自分は、親や家族を大切にしていない。家族を大切にしなければ、幸福にはなれないと知りました。私は25歳で結婚(嫁入り)しました。その親族一同は、お正月早々朝早くからお墓参りに行くのが、代々の習わしでした。最初は腑に落ちない感じがしましたが、倫理の世界に入ってからは、そのような親族を誇らしく、嬉しく思っています。あるとき、私が勤めている会社の社長は、私に、『旦那さんの誕生日には、どのようなプレゼントをするか?』と聴いてきました。私が、『旦那には適当なプレゼントをする。』と返事すると、社長は、『母親というものは、わが子が生まれてきたときの様子を細大漏らさず記憶しているものです。旦那が大切と思うなら、旦那の母親にプレゼントするべきです。』と、言われました。なるほどそうです。旦那の母にそのことを言い、プレゼントをすると、母は感極まって号泣しました。そして、以降旦那の母にプレゼントしています。また、妊娠2か月のときに交通事故を起こし、全身麻酔や、数多くの薬を投薬され、その後妊娠が判明したとき、奇形や各種不具合の発生を心配しながらも、産まれてくる子供を、神様の授かりものとして受け入れようと夫婦で決心して産みました。ところが、全てが順調で、家族全員で『生まれてきてくれてありがとう』と大喜びしたことを思い出します。今では大学受験のときになりましたが、のびのびと優しく素直な息子に育ってくれて良かったと思っています。」

小林氏の笑顔の原点を教えて頂きました。その中で、家族を大切にすることが、どんなに豊かな幸せを呼んでくるものかが実践を通して理解できました。


 この後、集合写真を撮り、オリーブの木で、朝食を頂きました。
 
いつもの通り、MSについての感想を述べ合い、有意義なときを過ごすことができました。お帰りは恒例の人力車です。皆川副会長と同乗し、鎌倉の街をしばしの散策です。


 

平松 健男 記)

2015年10月8日木曜日


~俺の生き様。倫理と出会って~三谷 大和

台風が来るたびに秋の訪れを感じます。暖かくて比重の軽い海面の海水が、台風でかき混ぜられ、海底の冷たく、重い海水と混ざり合い一挙に低温になるからでしょう。海面温度か、その付近の気温を左右すると言われています。
ノーベル賞が発表になりました、物理化学関係で2人の日本人科学者が受賞されることになりました。いずれも、自らの収入には無頓着で、一途に研究に没頭し、ご両親や奥さまへの感謝の気持ちを赤裸々に語っておられました。j受賞に当たり、良きご両親・ご家族、良き先輩・後輩に支えられたご自分を感じておられるようでした。家族や、友人との間に、良い関係があってこそ、世の中、人のためになれる一流の仕事ができると確信しました。

 松谷 会長のご挨拶に続き、中山 裕一 氏の3分間スピーチです。

「私は離婚歴があり、今では、その原因は自分の傲慢さにあると思っています。本日の栞の輪読は、第5章『夫婦は一対の反射鏡』ですが、私にとっては最も苦手な箇所です。4年前に倫理に入会してから、MSに欠席することが多かったのですが、あるとき、飲み屋で偶然に清水会員とお会いし、『もっとMSに出席した方がいいのでは』と、たしなめられ、また、皆さんからも同じように励まされ、また出席しようと思っています。」

松谷会長からも、会員の50%の出席率を目標にしようとのお話があり、私たちも引っ込み思案にならず、積極的に声掛けするようにしたいと思いました。

いよいよ三谷 大和 氏の講話です。

【三谷 大和 氏のプロフィール】
千葉県八千代市倫理法人会 相談役
(株)大和 三谷大和スポーツジム 会長
1971年岡山県津山市生まれ、9歳からボクシングを始める
高校3年でインターハイ優勝
早稲田大学に入り、全日本チャンピオンに
プロデビュー後、日本タイトル、東洋チャンピオン、世界タイトルマッチへの挑戦などの輝かしい戦績を誇る
95年:東洋太平洋タイトル獲得
96年:WBC世界S.フェザー級タイトルマッチを2度実施(タイトル奪取ならず)
98年:プロ引退
02年:三谷大和スポーツジム創設

最初に三谷氏とお会いし、名刺交換したときには、穏やかで優しそうな雰囲気一杯の方でした。しかし、講話が始まり、三谷氏のご両親の離婚やその経緯、ご本人の離婚歴、そして、プロボクサーとしての壮絶な競争の世界を生き抜いてきた方の我慢と頑張りの根源について教えて頂きました。「事実は小説より奇なり」を地で行く方だと思いました。

幼少時からお父様の厳しいスパルタ教育を受けられ、あるとき、お母様が家から出ていかれました。その中で、幼な心にご自分が我慢し、頑張れば、お母様は帰って来られると信じ、ボクシングの面でも磨いて来られたとのこと。倫理に入った後に、お母様に久し振りにお会いしたときには、『産んでもらってありがとう』と言えたこと。いくら勝っても、褒めて貰えなかったお父様にも謝罪し、フェザー級の王座決定戦で負けたとき、『よく頑張った、これでいい』と言って貰えたことなど、涙なしでは聞けない講話でした。お母様、お父様との劇的な和解があり、倫理の道の素晴らしさを教えて下さいました。

現在は、三谷大和スポーツジムで、後進の育成に勤しむとともに、八千代市倫理法人会の相談役として各地で公演され、好評を得ておられるとのことでした。

DVDでの迫力あるタイトルマッチの画像なども見せていただきました。どのように見ても勝っていると思われる試合が、審判の判定では負けにもなることがあるという残念なものでした。

「私の座右の銘は、【行き着く港の無い船に、風は決して帆を押さない。】です。【目的(夢)があれば、必ず、応援してくれる仲間がいる。】という意味で、現在、経営しているジムに、私と同様な境遇の青年で、昔の私と同じように、世界タイトルを狙っている齋藤 君がいます。私は、この青年を心身ともに応援しています。彼の可能性に賭けています。」

この後、集合写真を撮り、オリーブの木で、1コインで栄誉たっぷりの朝食を頂きました。
いつも通り、本日の感想を述べ合い、有意義なときを過ごすことができました。
帰りは恒例の人力車です。八千代市の田中幹事と同乗し、人力車に乗って鎌倉の街をしばし散策です。

 平松 健男 記)