2015年5月19日火曜日


~役職に育てられて~星野

雨模様の抜けない早朝、由比ヶ浜公会堂には、モーニングセミナーに出席のため、多くの会員やお客様が訪れます。鎌倫では、来られる方々をできるだけ暖かくお迎えしようと、幹部が玄関の外に出て、お待ちします。暗くても分かり易いように、遠くからも見える蛍光塗料付の衣服を着用しています。


 
最初に石渡会長の3分間スピーチです。


「最近、亡き父母と約束し、仏壇の前で、毎朝、40分間の一人活力朝礼を実行しています。倫理の目的は、自分を変えることです。父母との約束ですので、辞めるわけにはいきません。今日は、青葉区倫理法人会会長の 星野会長にご講話をお願いしました。以前、藤沢市倫理法人会で講話をお聴きしたとき、心に残る素晴らしいお話だったので、鎌倫でもお願いしようと決心しました。」

次は、田谷事務長の3分間の会員スピーチです。


「先日、実弟のことを思い、倫理研究所名誉会員の松丸 氏と相談し、倫理指導を受けたところ、『弟の美点について、毎日書き出してみなさい』というご指導でした。直ぐに実行に移し、思い出しては毎日書き出しています。毎日となると、なかなか難しくなってきます。」と、弟思いの田谷事務長の最近を語っていただきました。

 【星野 氏(35歳)のプロフィール】
横浜市青葉区倫理法人会 会長
神奈川県レクチャラー
ファンクテックスタジオ 代表
家族:妻と2人の子どもと横浜市青葉区に居住(2年前に駒沢から転居)

 
「私は、学生時代にビートルズなどの音楽に嵌り、ミュージシャンを目指し、活動しました。学習院大学時代には、映像制作部に入り、バンド活動に夢中でした。

また、学生時代にファンク振興会を結成し、昼働いて夜間ライブを実施するなど、体を酷使する生活でした。自由で自分の好きなことをすることに生き甲斐を感じていたので、嫌いな言葉はマニュアル(規律)でした。作曲が趣味でしたので、ミュージシャンとして自立しようとしましたが、実際には、自立が困難で、溶接などの現場仕事を身に着け、経済的な自立を模索しました。しかし、学生時代から短期で、遅刻が平気という性格でしたので、社会に認めて貰うことは難しかったように思います。

そのような荒れた生活をしていましたが、結婚し、子供が生まれる頃には、身勝手な自分を反省するようになり、倫理法人会に入った頃には、妻に対しても、感謝と反省の気持ちが芽生えるようになり、夫婦関係も見違えるように改善しました。

その頃、主として溶接を担当する星野工業を起業し、ミュージシャンとの両立を意図しましたが、必ずしも満足できる状態ではなく、今後は青葉区相談役(元会長)が経営するバイオトイレや介護用トイレを扱う会社に入ることになり、ここで頑張ろうと思っています。波乱万丈のこの間に、『①姿勢を正しくする、②仕事は見て盗む、③プラス言葉を使う』という万人幸福の栞の教えとも合致する考え方に共鳴し、実行してきました。」すさまじい変化の末に、倫理を学ぶ姿勢から自らを立て直された星野 氏に敬意を表したいと思います。


この後、オリーブの木で朝食を頂きながら、感想を述べ合いました。その後星野氏は、恒例の人力車で鎌倉駅に向かわれました。   

(平松 健男 記)

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